2007 年 5 月 31 日
畏敬の念
お天道様が見ている、神様が見ている、他人が見ている、それを畏れることは自分を成長させる原点です。常に畏れ(おそれ)を抱きながら生きる、このことがないと人は人として真に成長することはないのだと思います。
畏れることは、単に怖がること、萎縮することではありません。自分以外のものに謙虚な気持ちでかかわり、そのものを受け入れ「私は不完全な存在です、あなたは私にないものをたくさん持っているはずです。だから何でも聞かせてください、見せてください、与えてください。」という基本姿勢です。
これを畏敬の念といいます。
私たちは、時として他人を決め付けることがあります。どうせあの人は能力がないから、どうせ子どもだからと、人の話に耳を貸さなかったり、です。また、自分で努力してやりますから結構、あなたの協力は要らないとコミュニケーションすら取ろうとしなかったり、です。
でも本当にそうでしょうか。人はそれほど単純ではありません。仮にある面での能力が劣っていたとしても、人は別の面で自分には及びもしない能力を必ず持っています。子どもだって、その姿、言動から、大人が忘れていたものを気付かせてくれます。雄大な自然を受け入れることで、人間の存在のはかなさを感じさせてくれます。
自分以外のすべてを畏れることが人間的成長の原点です。これが人に好かれ、信頼され、人間として真に豊かに成長できる根源です。
ことをなすときに情報を得ることが大切なことはいうまでもありません。しかし、情報を得るという言葉だけでは言い表すことのできない何か、それが「畏敬の念」だと思います。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )