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ブログ

2007 年 8 月 17 日

待つ

 私たちが生活をしていると、待たなければならない情況がある。これを不満、不運ととらえるか、やがて来る満足への序章ととらえるか、人としての生き方に関わってくるものだと思う。つまり、待てる人と待てない人がいるものだ。どちらが尊いというのではない。ただ、待つ時間をどのようにとらえるかの問題である。

 最近、大阪のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行ってみた。開門から30分も経たないのに、人気のアトラクションは120分から180分待ちの札が出ている。これを待たなければ、人気のアトラクションには入れない。ということは、せっかく来たのにその意義の多くの部分を果たせないわけだ。なるほど、そういう情況を軽減するために、列に並ばずとも入場できるパスが有料であるらしいのだが、特権を金で買うことに抵抗を感じやめた。筆者は覚悟を決めて、その他大勢の中で待つことにした。

 前後のお客も同じ境遇である。じっと黙って待つ人、おしゃべりに興じる人、本を読む人、周囲のことは気にせず携帯電話のテレビを見ながらじっとしている人もいる。不満を口にしながら待つ人もいる。前後の人の話を盗み聞きするつもりはないが、近い位置にいるので聞こえてしまうのだ。不満を言っても事態は何も変わらない。それを聞かされるこちらもイライラ感が募るだけである。

 せっかく旅行に来たのだから、ここでなければの雰囲気を感じたい。旅の意味は脱日常を味わうことにある。だから筆者は、この場で本を読んで過ごしたりテレビを見て過ごしたりする日常を持ち込むのには抵抗がある。景色を見たり人を見たり、時には「どちらからですか?」などと話しかけてみるのも、旅ならではのことだと思う。アトラクション側も飽きさせないように映像を流したり、空間デザインで臨場感を高めたりする工夫があるのでそれを見て、自分も期待を高めようとする。しかし、それでも120分近い待ち時間になると長い。不愉快な顔にもなるが、それでは先の情況を自分が起こすだけである。

 待つことの中にそのひとの“人間”が出る。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )