2007 年 8 月 21 日
待つ(その2)
待たなければならない情況はつらい。遊園地で2時間や3時間待つことなど、所詮は身勝手の結果であろう。些細なことである。
待つことが自分の選択でなく、いやおうなくそういう情況に置かれることがある。
昭和20年に先の戦争が終わり、引き上げ船の入港地である舞鶴の港の岸壁で、戦地に赴いた子どもの帰りを待ち続けた母親がいたという。もちろん筆者の生まれる前の話である。
この人も自分の意思とは関係なく、時代の流れ、運命によって待たなければならない境遇を与えられたわけである。何年も待ち続けることはつらいことには違いない。わが子はきっと生きて帰ってくる、と信じて待ち続けたわけだが、その切ない気持ちは想像を絶する。傍の人間が言葉で表現できるものではない。常識的な議論でいえば、あきらめることのほうが合理的かもしれない。でも、この方は待ったのである。この人にとって、傍の人の常識など自分の価値判断とは次元が違う話であろう。次元を超えて、結果として、死ぬまで待ち続けたわけである。その方の魂はきっと今も待ち続けていることだと思う。
この方にとって待つことは生きることであり、待つことを支えたのは愛である。
このことがやがて人の感動を呼ぶ。傍の人を感動させた結果が歌になり、その歌をとおしてさらに多くの人の感動を巻き起こす結果になったのである。
しかし、この方にとって人の感動などどうでもよいに違いない。人の思いにはそう簡単にアプローチできるはずもないのだから。
待たなければならない身の不幸をあきらめるか、神を恨むか、それはその人の問題であり傍の人間がどうこう言えることではない。筆者はただ頭を下げ、心の中で人の哀愁を思うのみである。
考えてみると、生きていくうえで待たなければならないことはいくらでもある。待てない人が“現実を切り開く”という名目で行動を起こす。自分だけの問題ならよいが、ときに待てないから焦れる。結果として他人の待つ環境や心の中にまで踏み込んでいく。
待つことは、生きることそのものではないだろうか。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )