2007 年 9 月 30 日
世の中は善と悪だけか
最近の世の中の風潮を感じるにつけ、善と悪の感覚が前面に出すぎているように思われる。マスコミの報道を見ても、「違法」「過去に例のない」「前代未聞」などの文字が踊り、われ先を競って報道し世論を喚起しているようだ。
例えば、北海道の菓子メーカーの事件である。賞味期限が切れて返品されてきた菓子の包装を変え、さらに1ヶ月期限を延ばして再出荷したという。このお菓子が北海道を代表するベストセラーだったのが、マスコミの格好のニュースの対象になった。
確かに、賞味期限の改ざんは悪だ。どう考えてみても善とはいえない。しかし、そのことで誰かかが食中毒を起こしたという話ではないし、賞味期限を1~2ヶ月過ぎたからといって、あの手の焼き菓子が重大な食中毒を起こすとも思えない。そもそも賞味期限なるものは、各メーカーの判断で決めてよいものに過ぎないという。
筆者の知っている菓子メーカーでは、日数を経過することによって消費者に味の変化が分かるかもしれない期間の、3分の1の期間をもって賞味期限を表示しているという。逆にいうと、製造日から数えて、表示された賞味期限の2倍先くらいまではおいしく食べられるというのである。
確かに賞味期限の改ざんは悪い。しかし、マスコミの過剰なまでの報道で、まだ行政の判断も法的な判断も出ていない状況において、社長が退陣に追い込まれ銀行から経営者が入る事態は私には異常に思える。少なくとも社長の責任において原因を究明し、その上で何らかの責任を取らせるべきではないか。この問題について、あの時点で本当に自浄能力がないのであれば仕方がないが、果たしてそうでなければならなかったのか。
その会社のあらゆるお菓子が販売を中止され、工場の操業が止まりパート職員が解雇された。本当にそのことがこの問題の解決につながるのか。一生に一度か二度しか北海道を旅しないであろう観光客にとって、北海道を代表する人気の菓子が買えない、そのことの不幸のほうがずっと気の毒ではないか。
さまざまなことを考えるにつけ、確かに悪いことではあるけれど、もう少し冷静に見守るとか、社長の交代や工場の操業停止の前に少なくとも申し開きの機会を与えるとか、再チャンスを与えるとか、そういったことができなかったのだろうか、と思う。
勧善懲悪のストーリーは、芝居や物語りにはちょうどよい。見ている限りは、それほど違和感がない。しかし、他人事で済ませてよいのかどうか、もう一度考えてみたい。こういった事件も、現代人にとっては劇場の芝居なのだろうか。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )