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ブログ

2008 年 2 月 27 日

人の間(その2)

 私はコミュニケーションについて講演、研修することを仕事としている。いつも大勢の人の前で話をしているわけだ。
 時にこういうことがある。講義を始める前に「もう少し下がってくれませんか」などと机を少しずつ下げていただくことである。つまり、講演や研修を受けていただく受講者と私との距離が短いのだ。部屋の広さにもよるが、最前列の人との間隔が1メートルくらいにもなると、話すほう聞くほうも相当な圧迫感がある。こちらものびのびと話せないし、聞く人も気詰まりを感じるだろう。そこで間隔をより広く取っていただくのだ。すると受講の方々もどこか安心した様子になる。
 このことは人を遠ざけるという趣旨ではない。むしろこちらとしては、のびのびと話したい、受講される方々にも安定した情況で聞いてほしいということである。

 新幹線や飛行機に乗る。満席状態では仕方がないが、空席がある状態では隣の席が空いているとホッとする。得した気分にもなる。上着や鞄を置くことができるメリットもあるが、何と言ってもそこが空間であることそのものがほっとさせるのだろう。このような場合、そこが空間でなくても、物が置いてあっても構わない。要するに意思を持った人間が存在しないことが、ホッとさせる理由なのだと思う。
 何故だろうか。人は無意識的に、人間がそこにいることで相手方のことに心を向けている。相手の心情や立場も考えねばならない。自分と同時に、相手方にも快適な空間をつくるために気をつかわなければならない。もちろん、勇気をもって話しかけ、よい人間関係ができればそういった感覚はなくなる。
 しかし、疲れているとき、何をするのも面倒な気分のとき、物理的な間隔が必要な気がする。話しかけるのにも、この人に話しかけても良いだろうかと気をつかうので、多くの場合声をかけないのが現実だろう。
 でも、嬉しいときには声かけに勇気が出る。隣が空いていなくても、それほどストレスを感じない。これも体験的に分かる。

人と人との物理的な間とは、自分のそのときの感情を客観的に推し量る、一つのヒントかもしれない。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )