TOP 1つ戻る

ブログ

2008 年 3 月 29 日

オーストラリアにて(その1)

 オーストラリアに行ってきた。仕事の関係や娘のクラブ活動の都合もあり、日本人にありがちな日程、ケアンズ3泊、シドニー2泊、計5泊7日である。一般的にいうところの観光旅行であるから、深いところを見たわけではないし、ここでその旅行記を書くわけではない。そこでの雑感を書くのみだ。

 その一つが日本の高校生の修学旅行である。時節柄か、ケアンズでもシドニーでも日本の修学旅行生をよく見かけた。
 例えばケアンズのレストランでの出来事だ。ケアンズの町自体がリゾート地でそれほど都会ではないので、この店もそれほど格式の高い店ではない。が、この地ではそれなりに値段の高い高級店といえる。
 そこへ、日本人の高校生の団体約40名がやってきた、教師と思われる人も4名ほど付き添っている。それにしても、このグループは最初からテンションが高い。活発なイメージといえばそれまでだが、それ以上にはしゃいでいる印象だ。はしゃいではカメラに収まり、食事が進むにつれてまたはしゃぐ。こちらも、いよいよそれが耳についてきた。私の周囲の人(日本人以外の)も、しかめ面でそのほうちらちらと見ている。付き添う教師らしい人は、生徒の写真を取り続けている。その様子をいさめるわけでもなく、一緒にエンジョイしている雰囲気だ。

 そもそも修学旅行とは、なんのためにするのだろうか。特に海外旅行ともなれば、それなりの費用もかかるはずで、それだけかけて何を教育しようとしているのか、である。何もしないで温泉につかってのんびりとなどというのは、少なくとも金を自分で稼ぐことのできる大人のやることだ。親の金で、学校行事として来た学生に、そんな旅行をする自由はない。

 修学旅行は学習の一環である。修学旅行の目的は、ここは日本ではないこと、なんでも日本の感覚で行ってはいけないこと、少なくともそのことを自覚させることだろう。
私があのレストランで目にした光景は、日本の悪しき醜態を外国で再現しているに過ぎない。日本の赤提灯(庶民的な飲み屋)で親父たちがやっている宴会と同じイメージのことを高校生が外国でやっているだけであった。

 日本で親父たちがやっていれば、外国のお客さまへの見世物にはなる。向こうで高校生がやっては洒落にもならない。
 こういうのを少なくとも国際人とはいわない。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )