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ブログ

2008 年 5 月 4 日

オーストラリアにて(その4)

 オーストラリアの旅行の目的は、4つの世界遺産を見学することにあった。ケアンズをベースにグレートバリアリーフと熱帯雨林、シドニーではオペラハウスとブルーマウンテンである。もっとも、熱帯雨林とブルーマウンテンについては、この地に行くことが具体化してから認識したのであって、我が身の常識のなさを恥じ入る。ともかくも、それぞれは世界遺産に登録されるだけのことはあり、さすがに見ごたえがあった。

 その中で、大学が建築学科卒業の私としては、オペラハウスに最も関心と興味があった。あまりにも有名な建築だから、オペラハウスの名を知らずとも、誰でもシドニーといえばハーバーサイドにあるあの形を思い出すに違いない。

 私は高校卒業後に工学部建築学科に進学した。建築を選んだのには、もちろんそれなりの理屈はあったが、単なる憧れといってもよいと思う。そのころの私が工学技術というものに持っていたイメージは、漠然とした感覚として、タテとヨコの線で表現できるものであった。建築の大学で1年生の授業でデッサンや造形があったのには、いや、しまったと思ったものだ。美術はどうも好きではなかった。
 オペラハウスはまさにその印象の象徴であった。そういえばそうなのだ、曲線的な造形がなければ一流の建築は作れない。タテとヨコでは、建築の価値は知れているのだった。そのときだ。建築が自分には向いていないと思ったのは。
その後、卒論は都市計画の論文で終え、不動産会社、教育研修業と進んで今日がある。いずれにしても、自分の建築とのかかわりを考えるにつけ、オペラハウスは一つの象徴なのである。

 昭和40年代から50年代に、あのような造形を得たオーストラリアの人々は幸福である。コンピュータの発達していない時代に、あのような形の構造を計算し、躯体として造り上げ、今日に至るまで一流のステージとして使い切っている。今回それを目の当たりにして、まさに芸術だと思った。世界遺産の価値はあると踏んだ。
 我が国では、同年代に建てられた中野サンプラザがある。中野はどうひっくり返っても世界遺産にはならないだろう。

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代表

関根健夫( 昭和30年生 )