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ブログ

2008 年 7 月 1 日

いやな上司も地球の一部と思えばやさしくなれる

 冒頭のフレーズは、ある都市の地下街の一角に貼り出してあったものである。この地下街では、このような標語とも川柳ともつかぬものが随所に、立派なパネルに印刷して貼り出してある。買い物客を和ませるための工夫と思われる。うまいことを言うな、と思わず笑ってしまった。

 しかし、その後で、なんとも言えないもどかしい気持ちになった。暗い気持ちにもなった。この川柳には諦めとも、傲慢とも取れる気持ちが潜んでいる。いやな上司と決め付けて、“まあ、仕方がないからやさしくしてやろう”という意識が見え隠れする。部下でいる期間はしばらくの間だから適当にあしらってやろうというイメージだ。もしこういうイメージを若い職員、部下に持たれていたら、この上司は不幸だし。職場の組織も虚構と化すだろう。
 このような川柳が若い人々に批判を持って受け入れられることを願う。冗談と自覚して受け入れられるならともかく、この感覚が無意識に社会に浸透しては恐ろしいと感じた。

 職場の上司をどう思うかは勝手だ。しかし、意見が合わない、いやだと思うなら、単にやさしくしてやろうなどというのではなく、お互いの納得を目指して話し合い、理解を目指すのがスジだ。上司は上司なりの経験と目的意識の中で、ある考えを持って業務をしているに違いない。複雑な価値観を包含する社会に生きる人間だから、そう簡単に分かり合えるとは限らない。しかし、分かり合えない前提で、コミュニケーションを表面的に取り繕うようなことはすべきではない。意見が違えば、まずはそれを受け止めてみることが大切だ。これを謙虚さというのだろう。

 大体、自分以外の人格に良い夢、現実を見させてやろうなどという、他人をコントロールしようという考えが傲慢だ。人をにわかにコントロールすることなどできないし、またそうすべきではない。人と意見が違うのなら、こちらも全人格をかけてアピールする覚悟が必要だろう。上司が何を言おうと、それがいやだろうと、表面的にコントロールしようとするのは、おこがましい限りの話である。

 “地球に優しく”などという言葉が、当たり前のようにつかわれる世の中である。そう言われれば誰も反論できない雰囲気さえある。冒頭のものはこれをもじった川柳だ。この考え方を認めるようなら、人間という動物も未来永劫ではないと思う。
 地球に優しい企業、地球に優しい活動などといっても、現実に環境負荷を与えることで地球環境が良くなるわけはない。いや、地球環境をコントロールするという発想が傲慢なのである。極端にいえば、すべての人類が死滅しても、CO2の排出がゼロになるだけで、地球環境は現状維持されるに過ぎない。少しくらい努力しました。CO2を減らしましたといっても、地球にやさしくはない。地球環境が変わって人類が絶滅しようと、地球は地球で次の生物を生かすだけの話なのである。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )