2008 年 9 月 30 日
引き際
この秋、福田総理大臣が辞任、ソフトバンクホークスの王監督が野球人の現役を引退した。福田総理大臣については、政権を投げ出したという批判的な論調が多く、王監督については惜しむ声が多いように感じた。
一方、国土交通大臣がわずか5日で辞めるという前代未聞を演じた。当然といえば当然、その姿勢にはあきれるというニュースが世間を騒がせた。
それぞれの引き際には、さまざまな意見がある。社会的に影響の大きな人、特に政治家ともなれば、その辞任は本人の問題だけで片付く話ではない、という意見が常識的に取り上げられる。
政治家でも民間人でも同じである。すべての辞任や引退は、本人が環境をどう評価したかにかかっていると考えるべきだ。自分の実力、やる気、存在が、周囲からの期待に十分に応えられる、自分が満足できる十分な影響を与えられると考えれば、辞任や引退はないはずだ。そう思えないから辞任する。環境との相関によってなされた結論が、引退や辞任の決断なのだ。
福田前首相については、本人は環境が許せば、もっとやりたかったのではないか、と思われる。自分がこのまま続けるより、辞任したほうが周囲(環境)にプラスの影響があるとの判断だろう。この辞任は投げ出しだとか、たった1年で辞めるとは無責任だ、といった論調がマスコミに紹介されていた。が、それだけのことだろうか。
本人もさることながら派閥の論理でそれを選んだ政党にも責任はある。そちらの体質こそ議論すべき問題だと思う。
王監督は、弱小チームの当時のダイエーホークスに招かれ、しばらく優勝できなかったわけだ。ファンから生卵を投げつけられ、「王よ、頼むから辞めてくれ!」などと礼を失する横断幕を掲げられ(本当のファンならそういうことはしないと思うが)、マスコミも取り上げた。それがこの度は辞任を惜しむという、なんとも人の心はなんとも移ろいやすい、破廉恥なものか。
辞任は本人の判断の問題だから、本質的には他人がとやかく言うこともないと思う。むしろ、王監督は言っていた。自分の引き際を自分で判断できたことは幸せなことだ、と。問題を個人の責任などと騒がず、静かに送り出そうではないか。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )