2009 年 3 月 5 日
不確実なことの魅力
世界同時不況の影響もあって、為替相場が不安定である。現時点では円高に振れているといえる。そこでアメリカドル建ての生命保険はどうかと思った。私としては、さし当たって必要な生命保険、医療保険には加入しているつもりなので、円建ての生命保険を追加するよりも、また通常の円の定期預金よりも有利にうつったのだ。そこで銀行に行ってパンフレットをもらってきた。
そのことを社員に話したら、何故だという。
そこで簡単な説明をした。
ドル建ての保険だから、現時点で円をドルに換えて掛け金を支払う。保険だから自分が亡くなるか、満期になったときに保険金が支給される。多分今年か来年に私が他界することはないだろうから、仮に10年後にその日が来るとする。そのときに、今よりも為替がドル高、円安に振れていれば、ドルで出た保険金を円に換えることで差益が出る。あくまでも予想の話だが、円が高めに振れていると思われる時期にはドルで保険に入っておけば有利なわけだ、と。
すると、社員は「関根さんは10年では亡くなりませんよ、80歳の平均寿命以上は生きます。100歳までは分かりませんが、そんなに簡単に亡くなりません。」と、嬉しいことを言ってくれる。
だが、それは分からない。私の父は56歳で逝っている。そうなると私はその歳まであと3年だ。父は肺がんだった。肺がんのデータは持っていないが、親が胃がんで亡くなっている人の胃がんの罹患率は通常の9倍というデータがある。ピロリ菌の関係だろう。私の父がそうだったように、ある日突然ということもあるかもしれない。
2007年のデータでは、日本人の0歳児の平均余命は男性が79.3歳、女性は86.0歳である。しかし、これはあくまで平均値。それ以上の人もいれば、以下の人もいる。私の産まれた1955年時点では男性63.6歳、女性67.8歳だったという。今よりも男性で約16歳、女性で18歳も上がっている。すると、私がその時になれば平均も今よりさらに上がり、83歳くらいは堅いか。
ちなみに2007年時点で、ロシアでは男性の平均は58.9歳である。私がロシア人だったら「そろそろですね」と言われるのか。
社員とは私が何歳まで生きるか、こんな会話で盛り上がった。
このような話題は結構盛り上がる。かつてクラス会でも、「私は父の逝った歳を一つの基準と考える」と発言したら同じような議論になって「関根君は大丈夫だ」と言われた。このときもこれで結構な時間が過ぎた。所詮はなんの根拠もない議論である。証拠もない不確実な議論は、何故こんなに盛り上がるのだろうか。
しかし、先にあげた私が興味を持った生命保険も、いつ亡くなるか分からないから興味がある。いや、あと10年くらいは生きると思うからだろうが、それは根拠のない思い込みだ。保険に入っていてよかったと思うか、やめておけばよかったと思うか、実に不確実だ。
人は不確実なことに、何故こんなに真剣になるのだろうか。どれだけ議論しても結論がないからこそだろうか。ケ、セラセラと生きたいのだが。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )