2009 年 10 月 4 日
考察力(その2)
考えることをしない人はいない。皆それなりに考えている。しかし、私も含めて、あまり得意でない人はいるようだ。
例えば、前例踏襲である。
ある物事や問題を改善しようとするとき、同じような事案が以前にもあると、そのときと同じ方法で対応しようとする。多くの場合、結果はそれなりのものが出る。うまくいくものだ。これでよかったのだと思う。めでたし、めでたし、ということになる。
このことには、考察力においては大きな問題を含む。以前の事案と今回の事案がまったく同じかというと、必ずしもそうではないはずだ。厳密には、同じ事案など存在しない。時も場合も人も違う。もっとよい解決策があるかもしれないのだが、そこそこの結果が出ることで結果的に新しいことを考えなくなるわけだ。それ以上に考えないから、現状を打破できずに過ごすことになる。
例えば、指示待ちである。
言われたことはやるが、言われないことはやらない。誰かが教えてくれるまで待っている。自分で考えて結果を出そうとしない。言われたこと以上に自分で考えて仕事を改善しない。
教えられることも大切だ。しかし、それ以上に、自分で考えてやってみることで能力が開発されることに踏み出せないのだ。
組織において、上司から「こんなことではダメだ」などと指摘される。ここで「分かりました。もう一度自分で考えてみます」というか、「では、どうしたらいいのですか」と返すか、は大きな違いなのだ。経過において「ご指導ください」ではなく、「こうしてみましたが、いかがですか」が真の学びである。
最近の管理職は細かいことを言わない人が多いようだ。組織の形が以前とは違い、管理職もプレーヤーであるから忙しい、自分のことで手一杯ということもあるが、現実にはよいかだめかの結論を告げる。
社会の多くの問題には、こうでなければという解答があるわけではない。ある立場の人からみれば、方向が間違っているのではないか、ということである。それが何故か、どうすれば良いのかは自分で考えることだ。結果として具体的なものが出てくれば、具体的に意見を述べることもできよう。
考えることが、自分の未来や組織、社会での位置づけを変えるのである。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )