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ブログ

2010 年 1 月 26 日

自修

 「一年の計は元旦にあり」こどもの頃に、よく教師や親に言われた。世間的にもそのような言葉が流通していたように思う。しかし、最近はこの言葉を聞くことがあまりないように思う。私も最近子供には言わないな、とあらためて思う。

 それでも新年を迎えるにあたって、何か思いを新たにしようと考えた。が、今年も大晦日の夜に体調を崩し、元旦はおせち料理をつまみ、今年はワインで乾杯もしたが、平成22年の新年初日は一日臥せっていた。2日目も父の墓参りには行ったものの、体調はすぐれず。なんとなく過ごしてしまった。
 昨年の正月も、まったく同じように大晦日に体調を崩した。日ごろタイトなスケジュールで活動しているせいか、数日休みが続くと思うとほっとして緊張がほぐれる。かえってリズムが狂うようだ。私の仕事始めである5日以降は以前の調子に戻っている。連日の研修会の講師と研修の企画資料作成、各種原稿の締め切りに追われる日々に戻ると、いろいろと考え、主張したいことが湧いてくる。ありがたいことというか、悲しい習性というか、である。

 そういうわけで元旦にとはいかなかったが、今年の年頭にあたり「自修」という言葉を思った。「自習」は自分で学ぶことであるが、「自修」は学んだことをさらに深めて自分の身につけること、人格の一部とすること、つまり修めることをいう。

 私の職業は、まがりなりにも講師である。会社は講師の集団である。何かを自習して学ぶことは当たり前のことだ。もちろん他人から教えられることもあるし、書物などから知識、情報を得ることもある。しかし、それを深めて心からそのことを理解し、自分も心からそう思えてこそ「自修」であろう。

 ことに及んで、何かというと「教えてください」「勉強させてください」「ご指示ください」などという人がいる。学びの姿勢を否定はしないが、そういう姿勢には疑問を感じる。
 学びの基本はまずは自習である。自分で学び、自分の考えをもってから「教えてください」と他人の教えを乞うべきだろう。自分に意見があれば、他人の意見を鵜呑みにすることがない。これを疑うことができるから、さらに考えが深まる。そして、時には実践によって試行錯誤し、さらに自分の考えが信念として身につく。これこそが「自修」なのだ。

 私もお客さまに対して提案書類などを作成するが、「何かあったらご指示ください」などと書いてしまうことがある。少なくとも、こちらの提案に自信を持ってからであるべきことを戒めている。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )