2010 年 4 月 23 日
お詫びの軽さ
最近、気になることの一つにお詫びの軽さがある。
詫びることはさまざまな状況で行われるのである。また、言葉には固定された単一の意味があるわけではないから、詫びる行為やそのときにつかわれた言葉が、一概によいとか悪いとかはいえない。クレームへの対応などでは、こちらに過失があってもなくても、とりあえず「ご迷惑をおかけして‥‥‥」「ご心配をおかけして‥‥‥」という意味で詫び言葉をつかうことは現実的である。
それにしても、である。
たとえば、電車の社内アナウンスである。
私は、自分の事務所に出勤する際に東急池上線とJR京浜東北線を利用する。朝のラッシュアワーともなると2分、3分と電車が遅れて来ることは珍しくない。そうなると各駅にも遅れて到着する。
すると車内でも駅でも、判を押したように同じニュアンスのアナウンスが始まる。しかも毎日のように。
「この電車はただいま3分遅れて運転しております。本日は電車が遅れまして大変申し訳ございません。深くお詫び申し上げます。」などという具合である。言葉がやたらと丁寧である。重々しい。
電車の遅れの原因はさまざまだが、多くは混雑であり、各駅での乗降の時間が数十秒ずつ延びてくると、結果として2分、3分の遅れになる。ちなみに、私の利用する京浜東北線では通勤時間帯には、おおむね3分ごとに電車が来る。後続電車が遅れると、運転間隔の調整で先行列車を意図的に遅らせる処置も取っている。その単位は15秒だ。結果として、事故などで不通にならない限りは、運転間隔が10分以上開くことはまずない。
したがって、ある電車が2~3分遅れても、いつもの時刻に駅に行けば遅れて来たその前の電車に乗れるので実質的に被害はない。以前は、列車が遅れると運行速度を上げて遅れを回復する運転をしたらしいのだが、過密ダイヤでは実質的に意味がない。危険も伴うことで、JR西日本の事故以来それもあまりやらなくなったようだ。
さらに、こんなアナウンスもある。
「本日は車内が大変混雑しております。心よりお詫び申し上げます。」
理論的にいえば、電車の遅れによって車内が多少混雑しているだろうことだけである。東京の通勤電車は、普段でもおしくら驕藷ェ状態であり、乗り込めないこともある。だから、よほどの遅れがない限りそれほど差があるわけではない。
電車の遅れや混雑の原因が鉄道会社の過失によるものであれば、謝罪に意味もあるだろう。しかし、乗客の混雑であれば不可抗力だ。まして、強風や人身事故、線路内への立ち入りや乗客同士のトラブルともなれば鉄道会社も被害者である。
首都圏の電車が不通になることはめったにないが、定時に数分遅れることはそれほど珍しいことではない。通勤の度に判で押したような謝罪アナウンスを聞かされると、もう謝罪の意味を感じない。車掌のアナウンスに「本当に悪いと思っているの?」と、皮肉のひとつも感じるのは私の性格がよろしくないからだろうか。
以上のことは、飛行機に乗っても似ている。5分、10分の到着遅れでも同じようなことが、重々しい言葉づかいでアナウンスされる。1時間も遅れれば、乗客のその後の予定も狂うかもしれないが、飛行機という乗り物の性格上、到着の5分や10分は、いや20分や30分は乗客のその後の予定にさほど影響するとも思えない。
これら繰り返される詫びる行為は、必ずしも自らの大罪を謝することではない。毎日に繰り返される詫びは、その言葉が重過ぎる気がしてならない。結果として、詫びの意味が軽くなる。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )