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ブログ

2010 年 7 月 9 日

待てない人々

 ここ数十年で、世の中が便利になったことはいうまでもない。さまざまな情報が瞬時に手に入るようになった。そのことは、例えば、ラジオが普及したこと、テレビで中継が当たり前にできるようになったこと、交通網が発達したこと、自動車の普及で行動の自由が24時間化されたこと、インフラの整備により行動の範囲が広がったこと、インターネットが普及したこと、これらは我々の生活が便利になったことに同義だろう。

 しかし同時に、私たちが置き忘れてきたこともある。
 例えば、疑問を持つことがなくなったことだ。いや、疑問を持ってもすぐに一定の情報が得られるので、疑問が疑問として時系列的に成り立たない。答えを求めれば、すぐに一定の答えが出るから、長い間疑問を持つことがなくなったのだ。
 長年にわたって疑問に思っていたあることについて、何かの機会にその疑問が晴れることがある。また、その疑問を晴らすために時期を待ち、わざわざ出かけて行って調べるなどして、苦労して回答を得たときの喜びは、感動といっても過言ではない。しかし、現代は情報や結果にイージーにアクセスできるから、すぐに答えが出る。知ること、解決することの感動がない。情報に行き着くまでの過程が極端に短くなった。

 例えば、政治である。
 過去数十年にわたって続いた政権が変わった。
 次の新しい政権のマニフェストは何ヶ月かけて実行すればよいのだろうか。少なくとも数ヶ月でやらなければならないというものでもなかろうし、できるものでもないだろうと思う。政権は基本的に4年間だから、その間に何度も議論し、結果としてマニフェストを実行できればよいと考えるのは非常識だろうか。次の年度の予算で100%やらなくては、公約違反なのだろうか。
 なんだ、政権が変わっても何もしてくれないではないかと、ここでも待てない現代の側面が、結果として批判という行為を正当化する。
 すぐにやれ、結果を出せという世論が、12年かかって移転先を決めた沖縄の基地問題をすぐに解決しようとさせた。世論も世論だし、それに乗って、数ヶ月という期限を切ってしまった政治家も政治家だ。結果として2国間の合意はできたようだが、国民への説明、理解、納得という過程がなくなった。

 サッカーのワールドカップ。
 開会直前の試合で思うようにゴールが奪えず、こんなことでワールドカップに出て勝てるのかと、多くの人が思ったのだろう。監督の采配が悪いとばかりに、岡田氏にはマスコミもファンもバッシングを与えた。テレビの街頭インタビューでも、かなり辛らつな言葉で批判する人もいた。(ならば、オマエがやったらどうだ!)
 結局、日本は2勝し、オランダには負けたものの0対1。ベスト16で敗退したが、善戦したとの評価。帰国後の岡田監督はヒーローで、あちこちから表彰され、名誉市民にまでなる。テレビの街頭インタビューでも若者が「岡田さん、サイコー」などと絶叫する。なんとも暗い気持ちになる。

 疑問を晴らす、問題を解決する、社会を変える、成果を出す、これらのことについて待つことができない社会。その期待に答えようとして過程を失う社会。まるで人々が踊らされているように思えてならない。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )