2010 年 10 月 3 日
日本万国博覧会 ― エキスポ70パビリオン
1970年、大阪で日本万国博覧会が開かれた。
日本で始めて開かれた国際博覧会協会認定の国際博覧会である。その後、沖縄海洋博、つくば科学博、大阪花と緑博、愛知愛・地球博と、私の理解に違いがなければ日本では5回の国際博覧会(万博)が行われている。
その中でも、大阪万博はレベルが違う。当時の国民の夢と憧れを集めた。
入場者数6400万人を超えた。いまだに世界中の博覧会がそれを上回ってはいない。日本の総人口が1億人に達していない時代のことだからすごい。今、上海万博が開催されていて、大阪万博を上回る入場者を目指しているというが、あちらは総人口8億人ともいわれる国だ。時代も違う。比較にならない気がする。
当時の為替レートは、1ドル360円。多くの日本人は海外に行ったこともなければ、いつ行けるかも分からない。いつかは、一生に1度くらいはと、国民のほとんどが海外旅行を夢に見ていた時代である。街中を歩いていても、異国の人を見ることもめったにない。「今日、外国人を見た」という話題が成立する時代だ。そんな時代に、万博会場では各国のコンパニオンの方々と直接話すことができた。夢を見ているようなものだった。
外国製のチーズやハンバーガー、その他の料理など、あの会場で外国の料理を初めて食べたという人も珍しくないだろう。日本にフランスパンが普及したのは大阪万博からといわれている。
とにかく大阪万博はすごかったのである。
私は当時中学3年生だった。
修学旅行で京都、奈良を巡るのだが、その日程の1日に万国博覧会見学があり、ガイドブックを事前に精査して、精力的に回ったことを覚えている。昼食は配られたお弁当で、お祭り広場のスタンドのベンチに座って食べた。このベンチがプラスチック製であることも当時は特別でモダンだった。そのとき、BGMに流れていたのが、トア・エ・モアの「空よ」だった。お祭り広場は、全体を屋根に覆われており、現実的には空は見えない。しかし、広大な広場を覆うその構造物の高さ、大きさに限りない未来を感じて、本当の空と同じくらいの夢や無限性を感じたものだ。
その大阪万博の跡地は、現在、自然園という公園になっている。エキスポランド、エキスポタワーも近年まで営業していたが、不幸な事故等もあり取り壊されてしまった。当時の建物でそのまま残っているのは、博覧会協会本部事務所棟と、岡本太郎氏作の太陽の塔、パビリオンで唯一残っている鉄鋼館である。
その鉄鋼館が、今年の3月エキスポ70パビリオンとして、新規公開された。今までは、本部棟の一部に記念品などが展示されていただけだったが、今回は規模を拡大しての開館である。
先日、大阪に研修に行った折に立ち寄ってみた。当時の品や記録が映像なども駆使して公開されていた。懐かしかった。あそこに自分の未来があった。
私と同年代、それより前の世代の方には、大いにお勧めしたい場所である。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )