2010 年 10 月 7 日
日本万国博覧会 その3 - 最先端技術
1970年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」であった。
人類の調和について。
当時は、アメリカとソビエトを核とする東西冷戦の只中で、政治とは別の人的交流に理想を見出そうという趣旨かと思われるが、中学3年生だった私にはそれほど深く理解できていたわけではない。会場でさまざまな国の人がただ仲良くすること、それ以上のことは考えなかった。
人類の進歩についてである。私には、テーマのこちらの部分にこそ興味があった。当時は、工業における公害も問題になっていたし、化石エネルギーへの不安もあったが、夢のエネルギー原子力が十分に発展余地を残していたし、エネルギーさえ使えば人は十分に幸せになれると信じていた。社会は高度経済成長の時代である。
電気通信館では、世界初の携帯電話が登場した。パビリオン内では、誰でもどこへでも無料でかけられるサービスをしていて、線のない電話に皆が驚き、感動し、数時間待ちの列ができていた。当時は、国内でも遠距離通話は相当に高い料金、外国など3分もかければ数千円であった。
三洋電気のパビリオンでは、人間洗濯機が出展されていた。透明プラスチックの容器に水着の女性が入ると、お湯が注がれ、気泡が噴射され、スポンジ状のブロックが体に当たってきれいになる。その後湯が抜かれ、すすぎ、乾燥の工程に進むというものだ。まさに人間洗濯機であったが、これは普及しないなと思った。
古川グループのパビリオンでは、最先端のコンピュータを使った囲碁のコーナーがあった。お客とコンピュータの対戦である。お客が指示をするとコンパニオンがキーボードで入力し、大きなボードの碁盤に黒の碁が打たれる。しばらくするとコンピュータが計算して白い石が置かれる。これが交互に繰り返される。家族で会場に行ったとき、父がそれに参加した。こちらの指示はすぐに入力されるのだが、コンピュータのレスポンスが悪く、向こうの石が置かれるまで数十秒かかる。定石どおりやらず、奇抜な手を打つと、場合によってはレスポンスに2分近くかかった。それでも最先端だった。
父は40~50分やっていたような記憶があるが、せっかく来た以上、他も見なければならないわけで、ゲームが進まないのに業を煮やし途中で試合を放棄した。
その他にも、電気自動車、モノレールなどが会場を走った。電気自動車は現在、当時の実物がエキスポ70パビリオンに展示されている。自動車には違いないが、遊園地の子ども用自動車に近い。それでもすごいと思った。今の車と比較すれば、とても公道を走れるような代物ではないが。
動く歩道も珍しかった。エレベータを水平にしただけだが、それに乗るためにも待った。当時はあまりの混雑に、危険を回避するためだっただろう。決して歩かないようにと指示された。
これは今では空港や駅に普通にある。歩かない人もいるが迷惑。基本は歩け、だと思う。
ハイビジョンテレビ、子ども用の番号入り迷子札、迷子センターのテレビ電話など、何をとっても最先端だった。もっとも、子どもよりはるかに多かったのが迷大人だった。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )