2010 年 10 月 11 日
日本万国博覧会 その4 - 音楽
万国博覧会の音楽といえば、まずは「世界の国からこんにちは」。
公式ソングだった。中でも三波春夫さんの歌唱のものが大ヒットしたが、実は多くの歌手がレコーディングしていた。確か10人くらいがレコードを出していたと記憶する。私は坂本九さんのものを買って持っていた。三波さんのものが売れていたので、他人と違うものが欲しかった。
その他にも開会式のエキシビションで歌われた歌がある。タイトルは忘れてしまったが、40年経った今でも口をついて出る。なぜか。詩は公募され、どこかの中学生の作品が採用された。私もそれに応募したからが落選。悔しかったからである。
「 咲いた、開いた、輪になった。知恵の輪、愛の輪、心の輪。
み、み、みんなで大きな輪。咲いた、開いた、輪になった。
パパンと叩いた、拍手した。日本万国博覧会、博覧会。 」
この詩が発表されたとき、何だ、たいしたことはないじゃないかと思った。
しかし、感性的には自分には手の届かないものがあると思った。理屈っぽい私には、作詞は無理と悟った。
会場ではさまざまなコンサートやテレビの公開放送が行われた。当時の人気歌手が入れ替わり登場した。私はそれを自宅で見ていた。当時、行われた歌謡フェスティバルの出演者名の一部が、エキスポ70パビリオンに掲示されている。これも懐かしい。
テレビ中継があったかどうか忘れたが、エキスポホールで「サンレモ音楽祭インジャパン」が行われた。このフェスティバルには、イタリアの人気歌手が多数参加し、私が後にファンになったジリオラチンクェッティも来ていた。この模様はLPレコード2枚組みで発売され、高校1年生のときに母方の叔母に買ってもらった。
それとは別に、当時は年に1回、日本カンツオーネコンクールという音楽祭があった。第1回は1968年で高田恭子さんがグランプリを取っている。高田さんはその後「みんな夢の中」という曲でレコードデビューしている。その第3回が1970年に万博会場で開かれ、この年のグランプリが千葉紘子さんだ。その後、千葉さんもデビュー曲の「折鶴」が大ヒットした。高校生のときにファンクラブに入った当時、私は16歳。千葉さんは25歳だったかと思う。2曲目の「雨宿り」、3曲目の「郵便局」とヒットしたが、もともとカンツオーネの実力のある人なのでイタリアの曲「愛は限りなく」などもよかった。7曲目くらいから演歌っぽい曲が多くなり、その後私の熱も冷めた。
万博会場、お祭り広場で聞いたトア・エ・モア、ジリオラチンクェッティや千葉紘子さん、大阪万博は私の青春の歌の思い出にもつながっている。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )