2010 年 12 月 21 日
淀川長治氏との約束
淀川長治氏の名前を聞いて、映画評論家であることを知らない人も多くなった。
氏は1909年に生まれ、1998年に亡くなった。もともと芸者の置き屋さんの息子で、小さい頃から芸術に触れる素地はあったようだ。お金に不自由はしなかったようだが、親の愛情には恵まれず、映画館や芝居小屋に入り浸っていたという。詳しい生い立ちを紹介することが本稿の意図ではないので省略するが、映画を愛した彼の人生は映画そのものの日本史といってもよいだろう。
並みの映画評論家が映画を傍観評論するのに対し、彼の評論はその域を超え自分がその映画の主人公で、その時代に生きたかのような錯覚を覚えるほどの内容を持つ。声は小さく、決してよい発声、発音ではないが、言葉には力があり講演には迫力がある。
私は子どもの時には、淀川長治という人のことを、変わったおじいさんくらいにしか思わなかった。社会に出てコミュニケーションを学ぶについて、氏の座右の銘「私はかつて嫌いな人に会ったことがない」に出会い、人間関係の原点だと感じることになる。
2度ほど講演を聞く機会を得た。そのうちの1回は、ほんの1~2分であったが講演前に至近距離で話を伺うことができた。淀川先生の講演はすべて映画の話と身の上話である。しかし、先に述べたとおり、映画の評論にとどまらず人生そのものを語り、示唆が多い。
先生のもう一つの座右の銘に「ウェルカムトラブル」がある。トラブル大歓迎、どうぞ私に言ってください、というわけだ。多くの人は他人にトラブルを持ち込まれることを嫌うが、淀川先生はこう言う。
幸せの絶頂にある人は、他人にもいい顔をし、金品を施し、より高みを目指そうとする。しかし、それはその人そのものではないことが多い。人間は幸せなときに本性は出ないものだと。
反対に、金も名誉も友達も失うような不幸のどん底でこそ、その人の本性が出る。周囲の人も去っていく中で、どのような価値観を持ち続け、どのように振舞い、人との関係を築こうとするか。人間を見るならそのほうが面白いし、そのときこそ人の本質が見えるものですよと。
誰でも一度しかない人生、自分がトラブルには巻き込まれたくないし、不幸にもなりたくない。しかし、トラブルや不幸は現実にはある。また、誰もが基本的に過去に戻ってのやり直しは効かない。それを映画が描き出している。そのとき主人公はどう思ってどう行動したか、もし自分だったら‥‥‥。それが映画を見る最大の理由だと。
だから、映画を見なさい。現実に起こったこと、起こりそうなことの映画を見なさい。見て自分だったらと考えなさい。すると、人生をいくつも生きることができる。人の本質を見ることができるすばらしい人になれると。だから、「失楽園」みたいな不倫の映画は見てはダメですよ。もし自分だったら、などと不道徳なことを考えても仕方がありません。だいいち、あの映画では本人は死んでしまうからいいです。そのなきがらを引き取りに来る親や身内の身になってごらんなさい。どれほどむごいことか、などと冗談めいた話題からも本質をチクリと。
あれ以来、私は年に10本の映画を見ることにした。実際に起こった話、自分にも起こりそうな話のものを選んで。人格を高めるために、私が決めた。淀川先生との約束である。
私が2回目の講演を聴講した数年後に氏は逝った。日曜洋画劇場のある回の解説では、「ごめんなさいねえ。声がかすれて聞きにくいでしょう」と何度も謝られた。体調を心配したディレクターがOKを出すと、先生はこれでは視聴者に失礼だと憤慨されて、何度も撮りなおしたという。結果としてそのときが最後の解説になった。その翌日が命日になったのだ。
私も人の前で話をすることで人生を生きている。人はたとえどのような生き方をしようと、命を削って死に向かって歩いている。最後の最後まで聞き手に語りかける姿勢、それを貫こうと天国の淀川先生に誓う。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )