2011 年 2 月 9 日
土光敏夫氏 その2
土光敏夫氏のお母さんが、立派な方である。もちろん、私も本で読んだ限りだが。
「国を危うくするのは悪ではない。愚かさである」と社会を憂い、これからの社会は女性もしっかりと学を修めなければならないとの信念で、岡山から横浜市の鶴見に移り住み、女性を教育する塾を開く。女性の教育が社会的に軽く見られていた時代の話である。小さな小屋で、みかん箱を机にして始めた私塾は、現在も橘学園高等学校として現地にある。最近共学になったようだが、つい最近までは女子高校であった。
この学校の校訓が「正しきものは強くあれ!」だ。私はこれを座右の銘にしている。女子校の校訓としては卓越していると思う。そういう方の子息が土光敏夫氏である。
土光敏夫氏にも座右の銘がある。私が中学生のときにお会いした際に色紙に書いていただいた言葉は「信念」であった。今流の言葉でいえば「ぶれないこと」か。いや、これではいかにも安っぽい。
いくつかの本にも紹介されている「個人は質素に、社会は豊かに」もすばらしい概念を言葉にしたものだと思う。個人は質素な生活をしろ、その分共同体を肥やせなどと安直にとらえると社会主義的なイメージになるが、そうではない。
個人が豊かになることとは、その心においてであろう。そのためには金や利権とは直接的には関係はない。質実剛健な生活、正しくものを見る目、姿勢が必要なのであって、必ずしも経済的な潤いではないのだ。最低限の生活さえできれば、社会を豊かにする、公益、公徳、もう少し分かりやすい言葉でいえば助け合う心のほうが余程価値があるのだと思う。
土光敏夫氏の考えと、今の社会は必ずしも一致していないのが残念だ。個人の経済的豊かさの追求は、確かに社会全体の経済を潤し、ひいては福利に貢献することは間違いない。しかし今の日本は、その結果として一部の成功者と概ねの生活安定者、反対に正社員になれず将来の見透しがつかない人々の格差を生んだ。
私も社会の一員であることを冷静に考えつつ、本当に我が家にテレビが3台も必要か、4人の家族で電話番号が6種類も必要か、などなど考える毎日である。せめて、私の車は新車登録から22年である。娘が生まれたときに購入を決断した日産セフィーロ、この車では無事故、無違反、無故障、今もよく走る。必要な機能は維持できている以上、贅沢はする必要もないと思う次第である。
「正しき者は強くあれ!」
「個人は質素に、社会は豊かに」
この二つの格言が私の生き方、哲学として、また私の会社の運営を支えている。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )