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ブログ

2011 年 4 月 12 日

被災地を応援しよう - お金を送ろう

 東北関東大震災から1ヶ月が経とうとしている。私は仙台から2日で東京の自宅へ帰ることができたが、被災地を生活の本拠とされている方々には、申し訳のない気持ちでいっぱいである。早い復興を願うばかりである。
 そこで、我々ができること。募金に応じるのも結構、ボランティアに参加するのも結構だと思う。私は募金には応じたが、仕事多忙につき現地での活動はできない。被災地域に住んでいない我々に、募金やボランティア以外でできることは何か。2つあると思う。

 第1は、気持ちを向けること、被災地の人のことを思いやることだ。
 例えば、これを機会に無意味な享楽に走ることを控えること、例えば、過度な買いだめはしないことだ。今回は、直接被災していない地域でも一部の商品やガソリンの買いだめが起き、結果としてそれらが被災地に回るタイミングが遅れた。被災地以外の人心を不安にさせた、これは人災といってもよいのであろう。
 もちろん、身内をなくし、家をなくした人の気持ちにはなれない。それはどのような場合でも同じことだ。だから、思いやりなど所詮はきれいごとだ。そのとおりである。そんなことは当たり前だ。自分と同じ人格の人などどこにもいない。しかし、だからこそ思いを馳せること、他の人の気持ちを想像することだ。人が人に思いを持つこと、これは人として人にできる最も尊いことだと思う。

 できることの第2は、広い意味で経済活動を活性化させ、社会にお金を循環させることだろう。被災していない者は遊べ、高級品を買えとは言わない。第1に述べたように、思いを共有する意味で、多少の欲望を抑えることは感覚的にも理解できるしそのとおりだと思う。だから、多少の経済の悪化は仕方がない。しかし、不自然な節制や無意味な自粛は自分にもよくないし、社会にもよくない。春の花見会があちこちで中止されていると聞くが、これまでの他人を無視した狂乱の花見会がるべき姿だったのか、見直せばよいことである。節度を持って花を楽しむ、本来の姿でやればよいだけだ。経済が回らなければ、被災地にもお金は回らない。復興も遅れるだろう。

 例えば、被災地に救援物資を送ることは間違っていない。しかし、いつまでも無料の食料を配給し続ければ、被災地で復興しようとしている地元食品業者や食堂などの商売がいつまでも軌道に乗らなくなる。
 ならば、我々はいかにすべきか。少ない額かもしれないが、その支出をせめて被災地に近い方面に循環させられないかということである。直接の被災を免れた地域、復旧しつつある地域は今も経済活動を行っている。
 それなのに、例えば福島県の観光地はお客が激減しているという。福島県猪苗代町にある野口英世記念館などは、春休みシーズンにも関わらずお客が1人も入らない日があったという。福島県の会津若松市周辺にはいい温泉がある。猪苗代湖から北の周辺もすばらしい景色の観光地だ。ならば、これを機会にして行ってみてはどうか。喜多方ラーメンも取り寄せて、久しぶりに食べてみることにしよう。会津の地酒も飲んでみよう。美味しさ再発見だ。

 東京都内のデパートやスーパーマーケットでも協力はできる。岩手、宮城、福島、茨城、千葉には、生産を続けている企業もある。それを買うとか、利用すればいいのだ。我々の経済活動が、現地の経済をより効率的に復興することにはならないか。
 福島県、茨城県では、一部の農作物は出荷規制になっている。しかし、そのほとんどは規制の対象になっていない。それを買って野菜サラダを作るのはどうか。魚も同じことだ。福島県沖、茨城県沖は良好な漁場だ。銚子あたりで水揚げされる福島県、茨城県沖のものを選んで買ってみよう。

 私の気持ちをここまで書いてきて、そこに立ちはだかるのが「人の気持ち」だ。
福島県、茨城県産の野菜がスーパーに数は少ない。魚もこの海域のものは現実に入らない。出荷規制、取引規制がされていないのにも関わらず売られていない。簡単にいうと、消費者が気持ち悪がって買わないのだ。だから店は仕入れない。だから市場で取引されない。だから取引されても必然的に市場価格は安くなる。そして産地の農業、漁業者はさらなるダメージを受ける。被災地の復興がますます遅れる。

 これを風評被害などと難しい言葉に置き換えるから、誰もが自分は加害者ではないと思う。自分もその一員だという実感が湧かない。このことの本質は私たち一人ひとりの気持ちの中にある。
 「だって気持ち悪いのだから、仕方がないでしょう」「同じ値段だったら、より安全なものを買うよ」そう言われれば、その人の考えの自由を奪うことはできない。これは消費者の権利だ。もちろん、こういった気持ちは誰にでもある。
 では、これらは危険なのか。確かに、放射性物質の付着よって暫定基準値を超えた一部の野菜は出荷を規制されている。しかし、多くの野菜は規制されていない。ということは、放射性物質が付着していない、または基準値以下だからである。つまり、国が安全だと認めているからだ。

 復興を支援することができるのは、信念か、勇気か、それとも愛情か。要するにものごとの考え方、気持ちを乗り越える「人の気持ち」なのだろう。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )