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ブログ

2011 年 5 月 8 日

被災地を応援しよう その3 - 自粛と正常の間で考える

 東日本大震災の被災地を応援する意味で、このエディターズボードの先のページでは、被災者に思いを馳せよう、東北に旅行に行こう、東北の品物を買おう、仮設住宅を建てるより既存のアパートに家賃補助を出そう、などと書いてきた。
 期せずして、政府の側からも同じようなコメントが出てきた。家賃補助については、どの程度具体的になっているのかは分からないが。このゴールデンウィークは、官房長官がかなり直接的に発言したからか、心配されたほどにはレジャー客は減っていないようだった。各地の高速道路の渋滞は、相変わらずのようだ。もちろん、こういう状況だから完全回復とはいかないだろうが、まずまずか。

 私も発言した以上は‥‥‥と思い、普段の晩酌では飲まない日本酒(福島県の「国権」と「末広」)を、いわき市の業者から購入した。しかも、普段に飲むにはやや値の張るものを。他に喜多方ラーメン、盛岡冷麺も休日の昼食用にあえて購入した。
 ゴールデンウィークは、原稿を書かなければならなかったので遠出はできなかったが、軽井沢へ1泊の旅行をし、栃木へ日帰りで出かけた。旅行ではあまり土産物を買わないのだが、栃木ではワインなどを買い求めた。

 自粛ムードも行き過ぎると日本の経済が持たないと、評論家がテレビで言っている。理屈はそうだろう。しかし、今の状況が果たしてこれでも自粛といえるのか。正常に戻すとはどういうことか、今は自粛なのか正常なのか考えさせられる。

 JR京浜東北線の列車は、この時期、外気温が22度ほどでもエアコンを入れている。この気温での列車のエアコンに、少なくとも私は不快を感じる。窓を開けるほうが快適だと思う。窓を開けると、インフルエンザ等の感染症の罹患率が低くなる利点がある。余程寒くない限りは、窓を開けるべきだ。ついこの間まで、照明も暖房も切っていたのに。夏への危機感を感じさせるために、今からエアコンを切るべきではないか。

 地元の東急池上線は、特別ダイヤで運転している。日中は7~8分間隔だ。震災前、日中は6分間隔だったから十数パーセントの節電ということだ。が、それが正常だというなら7~8分間隔でも不便を感じない私が異常ということか。

 JR他の各駅、特に東京駅の地下通路、蒲田駅のコンコースも照明は半減。一時は暗く感じたが、今のほうが落ち着いていて心地よい。今でも日中のホームの蛍光灯は多くが点いているが、あの光の意味が分からない。
 一部のデパートでは、エスカレーター付近の照明を消して、直上のダウンライトのみで照らしている。これも周囲のインテリアが生きて落ち着く。羽田空港の通路の壁の広告は、かなり大きなものが連続して掲げてあり、これでもかという印象であった。バックライトを消して、輻射熱がなくなった。

 私がよく行く家電量販店ビックカメラでは、例えば、かつてはオーディオコーナーの陳列製品から目いっぱいの音が出ていた。周囲がうるさくて、ある製品を試聴しようと思っても落ち着いてできなかった。それをするために、私は付近にある別の製品の電源を切って回ったことがある。すぐに店員がやって来て、また順に電源を入れられた。聞きたい機器だけ電源を入れればもっと落ち着いて選べるのに。
 例えば、扇風機売り場も以前はすべての製品のファンが回っていたので、そのコーナーが不快だった。今は、試したい必要な機種だけ操作できる。先日、順に試してみて、気持ちよく1つ購入した。

 私には、今の状態が自粛とはとても思えない。これらで自粛しているというなら、すでに以前の社会が相当に異常だったのだと思う。
 先日、中部電力管内のある街の商店街を歩いた。こちらは電力不足の影響を受けておらず、各商店とも目いっぱいの照明が、これでもかというほど煌々と輝いている。あまりにまぶしく、落ち着かないので早めに店を出た。

 復興を願うなら、一方でこれまでの生活を反省すべきではないか。北海道と東京以西の人は、元の生活に戻すことを考えてはいけないと思う。我々を本当に豊かにするのは何か、人間は自然に生かされている存在だということを、今回の被災地の方々は思い知らされている。そのことを共有すべきだ。それが被災地の方々に思いを馳せることになる。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )