2011 年 6 月 23 日
福島で発電される電気は、福島で使われていない
子どものころ、親や学校の先生に何度となく言われたことがある。ご飯を食べるときはお百姓さんに感謝して食べなさい。お米はお百姓さんが苦労して作っているのだから、と。米という食品に、我々が生きるための基本的価値を感じるからこその教え、価値観だったのだと思う。
今、私たちの生活は、かつて経験したことのないほどの豊かさに包まれている。エアコンによる快適な空間。明るい照明。おしゃれなショッピングセンター。切実な問題でいえば、病院に行くことで病気は余程のことでない限り治癒するし、事実、医療の進歩で人々の命は長らえることができている。
コンピュータの発展で、驚くほどのスピードで情報が集まる。預金の引き出し、株の売買、宅急便の荷物の確認などが、どこにいても瞬時にできることもコンピュータのおかげだ。
命を支える食品の基本が米であるなら、日本の社会の繁栄を支える基本は電気であろう。電気が安定的に使えるから命も守られている。我々の社会を支えている基本は、電気が安定して供給されているからである。
私の手元に「あなたはどう考えますか、日本のエネルギー政策―電源立地県福島からの問いかけ」という冊子がある。平成14年、福島県の外郭団体が出したものだ。福島県が発電所を誘致したことから始まって、発電所の安全性への評価、プルサーマル計画、核燃料サイクルについて、電気事業者による各種データの隠蔽、改ざん問題などを、中立的な立場で議論した経緯が書かれている。硬い内容の冊子だが。比較的簡潔に書かれている。私は、当時これをいち早く手に入れた。福島県庁に電話をして、無料で送ってもらったのだ。
福島県はこういったものを、何故、税金を使ってまでも出版したのか。福島は、原子力発電に協力的な姿勢を貫いてきた県である。その県が、イエスでもなくノーでもないこういった冊子を出したことの政治的な意味はいろいろだろう。しかし、この冊子は都会の人々にこそ読んで欲しいと訴えているものだ。
私たちは、これほどまでに努力して、苦労して、心配して、時には賛成反対と地域を二分してまでも、発電所を受け入れている。電気を使う都会の人たちよ、私たちの苦労を分かって電気を使っているのか。使うならそのことを分かって、貴重な電気を大切に使って欲しい、と。
今回、問題になっている福島県の発電所で作られた電気は、福島県の人たちが使ってはいない。原子力発電所は東京電力のものであり、すべては首都圏向けである。主に、東京、埼玉、千葉で使われていたのである。そのおかげで、都会は生活できていた。コンピュータシステムも、金融システムも、交通システムも、医療も、教育も動いていたのである。広く考えれば、その恩恵は日本の津々浦々まで及んでいたのである。
福島県が東北電力の管内だからということではなく、福島の人々は東京のために、全国のために発電所を受け入れて置いてくれていたのである。
私はずっと以前から思っていた。米と同じように、電気を作っている人、発電所を受け入れてくれている電源立地地域の皆さんには感謝しなければならないことを。今回の震災で、福島の人々は大きな労苦を強いられている。今こそ、我々が福島の人々のためにできることをすべきだ。
東京電力や国の責任がどのようであるべきか、ということも精査されなければならないが、それは後でもよい。
今が大切である。被災地への補償、復興のためになるのなら、電気料金の値上げでも増税でも構わないと思う。私は喜んで受け入れる。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )