2011 年 8 月 5 日
数十年先の脅威 その2 - 子どもを健全に育てるということ
東日本大震災のうち、一つの大きなポイントは、東京電力福島第一発電所の事故であろう。事故の経緯はここでは述べないが、放射性物質が大気中に放出されてしまい、多くの人々が避難生活を余儀なくされている。東京に暮らす者として、電気の生産地の皆さんのご苦労には申しわけない気持ちでいっぱいである。避難先で少しでも心安らかな生活を送られ、一日も早く自宅に戻られることを祈るばかりである。
最近、次のようなニュースを目にした。沖縄の分譲マンション、長期滞在型のコンドミニアムの需要が、震災後、異常に高くなっているというのだ。空き部屋がない、価格も高騰しているという。その原因が東京からの移住者の増加だという。
東京の大気が汚染されているのではないか、放射性物質が付着した塵が降ってくるのではないか、水道水に放射性物質が混入するのではないかなどの不安から、仕事のある父親を東京に残し、母子で移住しているらしいのだ。
それほど東京は危険なのか、この議論はここではせずにおくが、東京は今も多くの人が普通に暮らしている。問題は、連れて行かれた子どもの心情やいかに、である。子どもは家族で暮らしたいだろう。この父親のいない長期生活は、転勤による単身赴任とは意味が違う。
東京には友人もいるだろう。その子たちと別れて知らない土地へ行く。このことが、子どもの心にどのような影響を与えるかである。そのことは、残された友人たちもどのように感じるかである。地域全体が危険で、避難しなければならない環境なら仕方がないが、そもそも東京が危険だという、客観的には非常識とも思える不安を基に自分たちだけが避難するわけだ。
沖縄移住など、誰でもできることではない。相当に資金の手当てができる人に限られている。金持ちだけが東京を離れる、自分たちは留め置かれる、そのことを残された子どもたちは敏感に感じるであろう。
それでも、行くのはなぜか。不安だからだろう。不安、心配は個人の自由である。どうしても沖縄に住みたいというのなら、それはそれで止むを得ないことと思う。しかし、それは反面、それだけのお金が使える立場の一部の人が、正しく怖がる能力を持ち合わせていないということではないか。
次のような記事もあった。この家族の自宅は発電所から離れていて、避難地域にはなっていない。町の機能は100%維持できている地域である。念のためにと、一家そろって親戚の家に避難した。
少し落ち着いたところで、その家の夫が自宅へ帰ることを決断した。仕事もある、子どもの学校もある、そのほうがよいという判断だ。これに妻が反対した。不安だ、子どもの将来を考えるととても帰る気にならない、というわけだ。
結局、父親は仕事がある、子どもは元の学校に行きたい、という理由で自宅に戻った。母親は離婚したという。
現実の環境をどのように評価すべきなのか、冷静に判断してほしいものだ。大気中の放射性物質のこと、食物の暫定基準値のこと、もしそれを食べたらどの程度の影響が出るのかなど。リスクをゼロにすることだけを求めて、子どもたちを温室に入れようとすることが、その子どもたちにとって果たして本当に幸せか.
もし自分の国の言うこと「直ちに健康に影響することはない」というメッセージが信じられないなら、国際機関のデータをもとに考えればよい。
リスク、危険はどこにでもある、いつの時代にもある。これらの庇護を受けた子どもたち、庇護を受けなかった子どもたちが、将来、正しい価値判断、リスク評価ができるようになるかが不安だ。この子どもたちが数十年後、大人になって家庭を作り、自分の子どもを育てるときに、今回の経験は果たして吉と出るだろうか、私には数十年後の脅威に映る。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )