2011 年 8 月 16 日
数十年先の脅威 その3 - 日本のエネルギー
福島第一原子力発電所の事故により、原子力発電への反対論が台頭している。新規の発電所の建設には否定的意見が多く、首相も脱原子力を主張し始めた。現在定期検査中の発電所の再稼働についても、世論調査の数字では、それを認めるとする意見と認めないとする意見が半々だ。
一部の市民の感情には、今すぐにすべての原子力発電所を廃炉にせよ、原子力はとにかくやめろといったものを感じるが、この問題は決して感情的に語られるべきではない。今すぐに、原子力の利用を0にすべきというのは現実的ではないと思う。平和利用を放棄すべきではない。
原子力発電をやめて、再生可能エネルギーを開発すればよいという意見がある。もちろん、それは最大限の努力をもって普及させるべきだと思う。しかし、現時点での技術ではこれをもって、わが国のエネルギーを安定的にまかなうことはできない。
もし、太陽光発電で現在の電力を供給しようとすれば、太陽電池を家庭の屋根に載せればよいなどというレベルの話ではない。面積的には四国4県全域の土地が必要で、それに見合う規模の人たちに立ち退いてもらわなければならない。福島の方々には心からお見舞いを申し上げるが、その広さは今回の避難地域の比ではない。それでも曇りの日や夜には電気は使えなくなる。安定供給は無理だ。
風力発電も風が吹いていない日は発電しないし、風が強すぎても設備を維持するために発電しないようにする。風力発電は実際に故障が多く、せっかく造ったプラントを放棄するケースも多いと聞く。
いずれにしてもこれらの再生可能なエネルギーの発電が実際に稼動し、化石燃料、ウラン燃料に代わって電気を安定的に供給できるようになるのは、早くても30年以上先のことだろう。この推定は、蓄電設備の技術開発が飛躍的に進んでいることが前提だ。
私たちには直視しなければならない事実がある。日本は資源が乏しい国だということである。現実に、わが国のエネルギーはほぼ輸入である。石油、天然ガス、ウラン、石炭など、水力以外には必要によってコントロールできる資源は皆無といってもいい。その水力も雨が頼りで、降水量が少なくても多すぎても使えなくなる。
石油は、新潟や秋田でわずかに採掘できているが、実際には量が少なく、ガソリンなどに精製してはいない。質的にも適していないのだと聞く。
それでも、日本が繁栄してこられたのは、電気が常識的な価格で安定供給されてきたからである。だからこそ、ものづくりが行われ経済的に潤った。これまでの日本のあり方、国民の生活に問題がないとはいわないが、例えば医療などの分野では最高の技術をもって生命が救われる現実があり、世界一の長寿国になったのである。
その原動力が、いわゆる電力のベストミックスである。原子力も含めて、構成電源のバランスを取ることで解決してきたのだ。原子力発電の比率が何%がよいのか、その議論は別として、今、原子力を拙速に止めれば、数十年後の電力供給は間違いなく不安定になる。電力をはじめ他のエネルギーの価格も上がる。日本の産業は空洞化する。国際的収支は悪化し、日本は世界に取り残される。日本の国力は相対的に確実に落ちる。人々の働き口は減少し、失業者が増加する。国民の多くは、おおよそ快適とは縁のない生活を送ることになる。
もう一つ、数十年後に石油は確実に埋蔵量が減ってくる。価格が上がり、世界の国々はその確保に躍起になるだろう。そのときに一次エネルギーを確保できた国とそうでない国とでは、今の先進国と発展途上国とのニュアンスの差がつくのではないかと思う。そこで日本が原子力の平和利用技術を確保できていれば、一つの対抗軸になる。
エネルギー問題についての感情的な議論をすべきではない。そのことは数十年先の脅威につながる。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )