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ブログ

2011 年 9 月 1 日

がんばろう日本 - それだけでは解決しない

 「がんばろう日本」「がんばろう東北」などのロゴをよく目にする。ポスター、新聞等の広告、電車やバスの車体、さまざまなものについている。世界的に有名なミュージシャンのコンサートや花火大会などのイベントにまで、まさに日本中がそれ一色の感がある。有名人から一般人までそれを叫んでいる。
 本稿ではそれを否定しない。それぞれの立場でできることをすること、東日本大震災の被災者の方々にエールを送ることは善意であり間違ってはいない。しかし、それを叫ぶことで満足し、自らの責任や道徳を果たしていると感じているとすれば、本当にそれでよいのか。

 問題は、それを被災地の人々がどう見ているかだ。
 今回の地震で職を失った若者が「地元のハローワークに何度通っても職が見つからない、生活費も底をついた、これからどうして生きていけばよいのか、私が欲しいのは応援の言葉ではない、職業だ」と訴えるインタビュー放送があった。職を失って酒に走り、仮設住宅で孤独死していた若者もいたという。
 このような立場にある人にとって、遠く離れた地で、着飾った人々が世界的なミュージシャンの演奏を聞いている「がんばろう日本」のスローガンのかかったコンサートの報道、町のポスターがどのように映るかである。
 我々ができる募金にしてもエールにしても、政府や自治体ができる政策にしても解決策の本質ではない。実際の被災者には他人事にも聞こえるのではないか。いや、確かに他人事なのだ。本質的な解決は、彼らが職を得ること、生きることの張りを持つことなのだ。それが今の環境で理想どおりいかない以上、彼ら自身が新しい環境に移るしかないのだ。

 人の限界はその人自身がつくる。その人が「もう限界だ」と思えば、その人はそこまでの人だということだ。自分は何て「ついていないのだ」と思えば、その人の人生はついていないものだ。人は自分のマイナスをアピールしながら、知らずに自分の可能性を狭めていくのが最も悲しい人間の性だ。
 反対に、人の幸せはその人が自ら作るものだ。この難局というマイナスをどのように乗り越えるか、そう考えればチャンスができる。そもそも、人生はその人の自身が歩いていくものだからだ。大切なことは、どのような状態にあっても、やりがいや楽しみを感じることであり、今はつらくても必ず乗り越えられると信じることだ。その実績はその人を必ず大きくするはずだ。また、その信念は、他人に言われて身につくものではない。

 「がんばろう」と叫び、叫ばれるのもいいが、被災地の人々は、そういう機会に身を任せ、一念発起、チャレンジしてみてほしいものだ。10年なら10年と決めて、違う環境に身を投じてみてはどうか。環境に適合する個が生き残るのは自然の摂理だ。今までの生活ができなくなったことを不幸と考えず、新しい人生にチャレンジすることで新しい幸せが待っているかもしれない。

 被災者だけではない。すべての人が、今の状態は本当に理想なのか、他に道はないのかを考えよう。自分で自分の殻を破るしかないのだ。
 自分の幸せは、他人からの言葉やスローガンとは関係ないのだから。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )