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2011 年 10 月 19 日

56歳 - 私にとって特別な1年

 10月17日、私は56歳になった。
 この歳になると、誕生日は嬉しくないなどという人もいるが、今のところ私はそのように思ったことはない。過去はどうあがいても戻っては来ない。やり直しはきかないのだ。だからと言って過去を捨てる訳にはいかないから、楽しかったことを懐かしく思えばそれでよい。だから私は過去を振り返るのも大好きだ。
 一方、56歳という年齢はまだ経験がない。新しいこの1年、この56の歳に何が起きるか楽しみだ。わくわくしながら生きていくのみだ。

 17日は仕事で某社の研修センターに宿泊することになっていた。妻と22歳の娘2人は、前日の16日にケーキを用意して祝ってくれた。3人がそれぞれに考えてプレゼントをくれることも毎年の楽しみだ。子どもが幼稚園のときは“パパの絵”だったが、今年は1人が就職したこともあり、それなりに考えたようだ。その1人はスキー用のニット帽子だった。もう一人はクリスタルのネクタイピン。妻はジョギング用のウエストポーチ。もっとがんばって働け!、走れ!、との声が聞こえた。
 小さい会社ではあるが社員も一同で吟醸酒を贈ってくれた。晩酌用にはもったいないので、2ヵ月後の新年の祝い酒にしようと思う。何人かの人から“おめでとうメール”も来た。何ともありがたい。幸せなことだ。

 56歳は私にとって特別な年齢である。私の父は56歳で他界した。私は28歳であったから、そこから28年が過ぎたことになる。ここまでの人生の半分だ。
 当時56歳で亡くなった父の葬儀に参列した人々は、異口同音に若くして亡くなったことを悔やんだ。私は父に対して、それなりに畏敬の念を感じていたので「まだお若いのに」というその言葉には違和感があった。平均寿命からすれば20年ほど早いのだから、まあそうなのだろうが、父は若造ではない。それなりの偉業はあるぞ、と。

 それ以来、人生の終わりはいつ来るかわからない、父もそうだったように終わりは突然にやってくるものなのだ、との思いを強くした。そうは言っても、今日か明日かに死を迎える実感はない。そこで、漠然とではあるが56歳が一つの区切りになった。それまでに何かをやろう、何かを残そうと思うようになった。子どもに伝えたいことを伝えておこう。自分の思いは残しておこう。その区切りがこの1年だ。だから、ここを区切りとして自分がここまでやって来たことに思いを馳せる。これでよかったのか、何かやり残したことはないかと。私にとって、56歳はそういう1年なのだ。

 父を思うとき、もし私に57歳の誕生日が来れば、その後の人生は神様がくれたおまけであり人生の第2章の幕開けだと思うわけだ。もちろん、これからも精一杯生きる。やり残したことがあればそれもやる。周りの人のために、後に続く世代の人のために、より豊かな社会を作るためにできることをする。教育、研修、著述をする以上、意見を発信し続けることはもちろんだ。そのためには、自分も豊かに生きたい。それも目標だ。
 父が命をもって残してくれた価値観だと思う。

 そのような意味で、この1年、自分が何を考え、誰にめぐり合い、社会はどのような経験をさせてくれるのか。
 いくつになっても誕生日はわくわくする。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )