2011 年 11 月 13 日
けじめ - 結婚披露宴に出て感じたこと
久しぶりの結婚式、披露宴。私は新郎の親戚として出席した。
若い人が家庭を持って新しい人生を歩み始めようとする、その姿を見るのは、ほほえましく感じるものだ。自分の過去を思い出す。新婚時代、子どもの幼かったころ、さまざまな思い出が蘇る。もう一度あのころに戻りたいと思う。それは反省という意味ではなく、楽しかったことを実感しているからである。若い人はそういった時代をこれから体験できる、そのことに羨ましさも感じる。軽い嫉妬かもしれない。
今回の新郎の父親は、彼が小学校3年生のときに36歳でこの世を去った。
父親は大学を卒業後、コンピューター関係の企業に就職したが仕事が性に合わず、まったく別の業種の歩合給の仕事についた。そこで成績を上げた。資金を貯めて、地元に飲食店を開いた。一時はそれなりに評判を得たようだが残念ながら閉店、その後に病に倒れた。
今回、結婚した長男の他には、女の子と男の子がいた。3人の子どもが残された。一番下の男の子は当時3歳であった。
家族は、幸せな家庭生活が一変した。幾ばくかの貯えもあったが、店の閉店にともない別の負担もあったのではないかと推測する。奥様は自ら働きながら3人の子どもを育てなければならなくなった。持ち家のマンションを売却し、それでも家族をまとめて子ども3人を立派に育て上げた。その苦労がいかほどかは、私ども端の者に想像できるものではない。淋しくも、悲しくも、つらくも、悔しくもあったことと思う。
子どもたちが成長するにつれ、家庭の状況にさらに変化が生じる。
長男は高校を卒業し、家を出て働き始める。長女は芸能人になることに憧れて家を出て音信不通になった。次男は母親と同居を続けた。
今回結婚式を行った長男は28歳。婚姻届は一年以上前の昨年9月に提出されており、すでに新婦とは家庭を築いて生活している。
家出していた長女には子どもが2人いて、上の子は小学校1年生になっている。数年前に連絡が取れるようになり、母親が知らないうちに結婚、出産していたのだという。
次男は、ある女性との間に子どもができ最近入籍をした。いわゆるできちゃった結婚である。最近独立した。
よって、子どもたち3人は独立して家庭を持ったわけだ。しかし、一般的な新婚カップルの誕生とはそれぞれ趣が違う。ここまで、いわゆる結婚式、披露宴を一人もやっていない。母親も兄弟同士も最近になって、結果としてお互いの現状を知らされた。そんなわけだから、親戚も友人もこの家族の正確な情報を誰も知らなかった。
人はそれぞれが個人の生き方だから、このような家族のあり方が悪い訳ではない。生き方や近況について誰に報告する義務はないし、親、兄弟、親戚にいちいち知らせる必要もない。そういえばそれまでのことである。しかし、この家族はある意味で、家族の形に戻ったともいえる。
今回、結婚式、披露宴をしたことは、もちろん本人たちの希望によるところだろう。同時に、自分たちを世間に報告し、きちんと向き合おうとする機会を踏んだわけだ。今までとこれからを表現した。まさにけじめだ。
それは母親のけじめでもあるだろう。ここまで一生をかけてがんばってきた。その自負と周囲への感謝だと思う。そして、これまでとこれからは違う、いや違わなければならない、そのことの誓いなのではないか。
先に逝った父親は、この日を天の世界からどのよう見ていただろう。どのような気持ちで迎えていただろう。彼らの心にどのような言葉をかけただろう。
自身が子の父親として、何よりも夫として、自分ごとのように感謝と期待と感動を感じた。新郎、次女、次男、母親それぞれの顔をじっと見ていた。
「本当にご苦労様でした」と。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )