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2011 年 11 月 28 日

この国は道を間違えたのか - 今こそ風に立て

 さだまさし氏の楽曲の一つに「風に立つライオン」という曲がある。海外協力隊員としてアフリカへ赴任した若き医師をモデルに作詞したもので、事実に基づくフィクションである。日本に住む恋人から届いた別れの手紙への返事をモチーフにした、歌詞が印象的な楽曲だ。
 その歌詞の一節に「僕たちの国は残念だけれど、何か大切な処で道を間違えたようですね」とのフレーズがある。このアフリカの人々は貧しく、肉体は病んでいるけれど、この人たちの心は自分たちよりずっと健康だ、と歌う。

 先般、東日本大地震の被災地から、津波の被害による瓦礫が東京に運び込まれた。それは大田区内において焼却処理されたという。そのことを報道で知り、大田区に生まれ、今までの人生の多くを大田区で過ごし、今も大田区に住んでいる私は、区民として大いに誇りを感じた。
 復興の障害になっている瓦礫を、できることなら全国の自治体に運んで、一刻も早く処理することは被災地以外の私たちに協力できることであり、きわめて当たり前のことだと思う。

 このことについては、当初は600に近い自治体が手を上げたと聞く。しかし、実際に引き受けたのは東京都と東北のごく一部の自治体だけだという。その他は、実施計画を立てる段階で住民の反対にあって、頓挫してしまったのだという。
 今回のことにも都民、区民からの抗議が殺到したらしいが、私は怒りや情けない感情を通り越してもはや呆れるしかない。抗議をした人は何を根拠に言っているのか。大いに疑問だ。放射能汚染が怖いからか。今回の瓦礫は福島県のものではない。だいいち、どこのものであっても、わが国は一定の放射性物質を含んだゴミは、法により移動運搬が禁止されている。その基準はキログラムあたり100ベクレルである。何と食品の暫定基準の5分の1だ。だから、ゴミを運んだくらいで街が汚染されることにはならないのだ。

 今回の震災では、多くの日本人が何か被災者のお役に立ちたいと願っているはずだ。
しかし、いざとなると自分の生活は脅かされたくないと考える。いや、脅かされてはいないのだ。怖いから、気持ちが悪いからといったレベルの発言では、単に考えることを放棄しているに過ぎない。
 私も自省するが、私たちは今の生活が、他の多くの人の努力の上に立っていることを忘れているようだ。自分たちさえよければという考え、今がよければという考え、面倒なことに関わりたくないという気持ち、これらは考えることをすら放棄することに通じる。このようなクレームを言っている人には、人格の確立が感じられない。風に向かって立つどころかすぐにふらつく様だ。

 国の問題は、一人ひとりの人間がそれぞれの立場で努力して支えなければならない。ならば、自分は何をするのかを考え実行に移すことが大切だ。考えもせず、努力もせず、手をも汚さぬ者、クレームだけを言う者に真の幸福はない。悲しいことだが、こういう国の民族に未来はない、とすら思う。

 僕たちの国は残念だけれど何か、大切な処で道を間違えてしまったのか。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )