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2012 年 1 月 16 日

人生は運だ その2 - 何があっても運がいい

 人生は運だ。そして、運が人間にとってどうしようもないことである以上、それを恨んでも決してよい結果にはならない。

 松下電器(現、パナソニック)の創業者、松下幸之助氏に次の逸話がある。あるとき評論家の方との対談で、氏が松下電器が採用したい新入社員の人物像について問われたときの回答だ。
 「当社は運の良い人を採用したい」
 評論家が、その人の運が良いかどうかは採用してみないと分からないのではないか、と重ねて質問すると、
 「その人の運がいいかどうかは、5分間も話をすれば分かりますよ。運のいい人は過去の何事も運がよかったと思っている人ですから」
 松下幸之助氏はこのように答えたという。
 私はこの話をかつて本で読み、さらに数年前にある方の講演で聞いた。言っていることの趣旨は「仕事は楽しくやろう」とか「何があってもくよくよするな」といった、誰でも一度は聞いたこと、と言ってしまえばそれまでだ。

 先の逸話は、50歳前後になっての私の心を強く変えた。それからの私は人生に一皮向けた感がある。人生に、運という人間にはどうしようもない概念を持ち込んだことだ。若いときには、自分が一所懸命にすれば、環境も社会も変えられると思い込んでいたから、運などという言葉は嫌いだった。努力さえすれば、人生はどうにでもなると思っていた。
 今は、人間にはどうしようもないことがある。運があるのだと思う。どうしようもないことだから、それを恨まない。どんなことがあっても「運がいい」と、まずは自分に言い聞かせ、本気でそう思うことにした。いやなこと、暗い気持ちが少しは明るくなる。時間は戻せない以上、そういうことがあったことはもう仕方のないことだ、と良い意味でのあきらめがつく。

 つまらない話だが、数年前、新潟のスキー場で財布を落とした。現金4万円と帰りの新幹線切符、クレジットカードを6枚失った。残った所持金は300円ほどだ。東京に戻れない。そのようなときに警察の方、JRの職員はどう対応してくれるのか、社会のルールはどうなっているのかを身をもって知った。
 カード会社に電話をした。各社の対応には明らかに差があった。ある意味で社会勉強になった。警察の免許証の再交付も、社会保険証の再交付も、その手続きと同じ再交付でも役所がどのような対応をするのか、すべきなのか考えさせられた。そのときのつらい気持ちも、惨めな気持ちも、失った現金もこれからの人生全体を考えれば、この程度でよかったと思える。
 妻には「落としたのが財布でよかった。命でなくて運がよかった」と言っておいた。妻には「しっかりしなさい」「スノーボードに行くのに4万円は必要ないでしょう」と言われた。正論だ。
 もちろん、あれからはより一層注意しているし、財布は一度も落としていない。あれがなかったら、もっと大金を落としたかもしれない。拾った人にカードを悪用されたかもしれない。それがなかったからと考えると運がいい。

 ここ数年、日本を取り巻く環境が劇的に変わった。アメリカのサブプライムローン問題、リーマンショック、ユーロの信用不安など。日本の円高、国債残高の過剰性。また、この先も何が起きるか分からない。劇的に変わるのだろうか。
 私も、就職するときには、第二次オイルショックの余波で、世の先輩方から今は時期が悪いねと言われた。でも、自分の仕事が人に喜んでいただけること、社会のお役に立つことを信じて、自分が周囲の環境を変えることを必死になってやってきた。就職時の景気が悪かったので、物が売れないのは当たり前で、だから営業の工夫が必要だという、そのときの環境や経験が社会生活のベースになっている。景気が悪いというのは、むしろ社会の当たり前に思える。

 人生の運が悪いのは、運が悪いと思うからだ。
 何があっても運が良い。
 今年も絶対に運が良い。
 そう思う新年1月である。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )