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ブログ

2012 年 2 月 16 日

休養 - 人生を考えさせられる出来事

 前回のウェブログに書いた訳で、カナダに行く予定が頓挫し、一週間休養することになった。
 大学卒業後に勤めた藤和不動産から転職して研修の仕事に携わり、就職した会社のあまりの企業意識の低さに驚きながらも売り上げを4倍ほどに引き上げ、その後独立。研修の講師を始めて通算26年、とにかく必死に走ってきた感がある。
 仕事の犠牲になってきたつもりはまったくないが、年末年始の休みや家庭サービスのための夏休みとは違う、休養のための休みは26年間で初めてのような気がする。いろいろと考えさせられた。大変によい経験をしたと思う。

 藤和不動産は6年と少しで退職したが、いわゆる有給休暇は6年の間に5日も取っていないはずだ。定時で帰ることもあったが、むしろ残業は好んでやった。それを激務とは思わなかったし、嫌とは思わなかった。むしろ、何にでも取り組むことで、自分の役割を果たすことが喜びだった。

 今の仕事になっては、研修先から帰宅することが多く地方の会場も多いので、仮に夕方5時に仕事が終わっても家に着くのは概ね10時過ぎだ。翌日も早朝からの移動が多く、研修先から研修先への移動もある。ホテル泊が平均して1ヶ月に10泊くらい。多いと、月に18~20泊ほどになることもある。
 ホテルでの生活は、だいたい朝5時台には起きて原稿を書く。6時25分にテレビの前で体操をし、シャワーを浴びてから朝食。その後、研修先へ向かう。こんな日々だ。
 平日がそんなことだから、土曜日は事務所に出勤する。日曜日は午前中に原稿を書いたり、資料の読み込みをしたりして、午後は家族サービスのために買い物に出る。日曜の夜に料理を作ることも私の楽しみの一つであるが、日曜日の夕方から移動することも多い。

 そんな私の日々の生活を、他人は「忙しいでしょう」といってくれる。「よく体が持ちますね」とも。しかし、私は決して忙しくはないのだ。“忙しい”というのは“心が亡んでいること”と尊敬するM先生がおっしゃっていた。私はそんな生活をしながらも、大いに幸せである。だから、忙しくはない。

 必死に仕事をしてきたといえば聞こえはいいが、私は、もちろん持ち前の遊び好きである。酒は、最近は休肝日も作るようにしているが、毎日のように飲む。ファンである加山雄三さんのライブ、コンサートには毎月のように出かける。旅行が好きなので、仕事以外にも毎年何度も家族で出かける。いい年齢をして、スノーボードが唯一の趣味だとか言っては喜んでいる。上達はすこぶる遅いが、最近は少しはうまくなってきたと自己満足も欠かさない。

 そんな私にとって、この7日間の休みは、人生を変えるほど考えさせられた出来事といってよい。
 始めの3日間は、妻とのことや家族とのことを考えることができた。映画「レイルウェイズ-愛を伝えられない大人たちへ」を平日の日中に、妻と一緒に見たことも大きいかもしれない。年齢がそう思わせるのかもしれないが、秀作だったと思う。ぽっかり空いた平日に箱根に出かけた。平日の観光地はこんなものかと思ったが、人が少ないのでその場にポツンといられることが、なぜか新鮮だった。
 後半は、午前から昼にかけて5~6時間集中して原稿に取り組んだ。集中して原稿用紙30枚くらいの分量の原稿を書くと(もちろんパソコンだが)、目と神経が疲れてくることが分かった。疲れたところで、夕方からは買い物に出て、夜は料理をつくり、お酒を飲み、ついでに加山さんの取りためたビデオを順に見るという、なんていうことのない日々を4日連続で経験した。
 “休養できた”というよりも、“こんな生活もいいなと思えた”というのが実感だ。

 私は、かつて、社員に口癖のように言われたことがある。体調を崩したり、疲れたりすると「たまには休んでください。体が悲鳴を上げているんですから」と。その節は「この程度は大丈夫だよ」と返していたし、その気持ちは今でも変わらない。年齢をそれなりに重ねてきたが、仕事の忙しさと体調の悪さは、根性とビタミン剤と人間ドックとでカバーするしかない。
 むしろ今回の休養で、“こんな生活もいいな”と思ったことのほうに、自分自身が意外性を感じた。そういった感情を持ったこと自体が“心が悲鳴を上げていたのかも”と思った。
 今回、カナダに行くことはできなかったが、それは来年以降に取っておき、なおのこと楽しみができた。夫婦のこと、家族のこと、働くこと、休むこと、人生を考えるきっかけになった。そういうことになった、運に感謝だ。

 そんな前回のウェブログを読んでくれた、私のかつての研修の受講者が、メールでコメントを寄せてくれた。
 「何が幸で何が不幸かではなく、どのように物事を受け止めれば幸せに感じられるか。そう考えれば、絶対の不幸などないのかもしれない。深く考えさせられました」と。
 彼は北海道に住む20歳代である。私の思いを見事に総括してくれた。そのことに感謝する。
 私も助けられて生きている。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )