2012 年 4 月 2 日
車への憧れ - 理想の車、日産セフィーロ(A31)
新年度が始まった。今年もいくつかの企業にうかがって、新入社員研修を担当する。そのたびに、自分の新入社員時代を振り返る。それは、いろいろな面があるが、私が社会に出たときに単純に憧れたこと、給料をもらうことの意味はお金を貯めて車を買おうということだったことを思い出す。
こと、私にとっては、子どものころからそうだった。早く18歳になりたかった。運転免許を取れるからだ。高校卒業と同時に免許を取った。大学2年のときに小遣いをためて車を買った。コロナ1900SL(T90)のハードトップ。事故車であったが、1900ccのスポーティカーが35万円、大学生にとっては大きな買い物だった。親が免許を持っていなかったので実家に車も車庫もない。家のそばに月8000円の駐車場を借りることは18歳には結構な負担であった。今から40年ほど前のことである。
就職して2年目だったか、憧れのスポーティカー、トヨタセリカリフトバック(A40)を中古車で買った。この2代目セリカは、アメリカのデザインで日本の車でありながら、斬新な印象だった。すごく嬉しかった思い出がある。乗っているだけで誇らしかった車であった。
当時の若者の憧れは、トヨタセリカか日産シルビアである。両方とも1600ccと1800ccのエンジンを積み、2000ccにもなると、もう高級車。セリカならダブルXという名前になり、これは贅沢。2000ccは論外だった。
このセリカも、事故暦のある車だったが、私にとっては初めてまともに動く車だ。それまでの車は、坂道を登ればオーバーヒートしたり、雨の日には放電してセルが回らなかったりと、結構苦労した。4年落ちの中古で買い6年乗った。登録から10年を越えた。当時は登録から10年を越えると、1年ごとの車検になる。買い替えを考えていたとき、首都高速道路で事故を起こして廃車した。
その間に結婚した。やがて子どもができるだろうことを見越し、最後のスポーティカーだとばかり、中古車で三菱スタリオンを買った。これも事故車。真っ赤なボディに黄色のストライプが入る、派手な塗色。特徴のあるスタイルの3ドア、リフトバックの車である。個性的といえば個性的だが、一般的にはあまり人気のなかった車で、マニアっぽいイメージの車だった。
当時は、自動車に様々な規制があったようで、普通の車に200馬力を出すものはなかった。この車種のGSRⅢというグレードは、国産車で唯一、シリウスダッシュターボという名のついた、2000cc、直列4気筒、200馬力のエンジンを積んでいた。私のは、GSRⅡで175馬力だったが、このスタリオンは、高速に行くとさすがに速く、フューフューとターボの音を出しながら、走りを楽しんだものだ。おとなしく乗ってもリッターあたり7キロに届かず、ターボを利かせると5キロ台に落ちる燃費は恨めしかった。
子どもができた。双子だった。さすがにスタリオンでもあるまいと思った。そろそろセダンにしなければならないかと、ある意味で車への憧れにあきらめをもち始めた矢先、日産から新しいコンセプトカーともいえるセフィーロ(A31)が出た。
井上陽水氏が走る車の助手席の窓から「みなさーん、お元気ですか」と、叫ぶコマーシャルが話題になった。井上陽水という歌手は、私の世代にとっては、大学時代に聞いた「夢の中へ」といった楽曲に深い思いがある。その後結婚されて、歌手活動を休止していた。病気なのでは、亡くなったのではと噂されるほど、一時活動をまったく休止していた。そこからしばらくして、このコマーシャルとともに「お元気ですか」と登場したわけだ。「お元気ですか」の前に「キーワードは、くうねるあそぶ」とこの車のコンセプトをナレーションする。このセフィーロのコマーシャルは昭和天皇のご病気で、その後放映が自粛された。そのコマーシャルが今でもユーチューブで見られることを知り、見てみた。泣けた。かっこいい。私の人生の車への憧れを凝縮したかの30秒の青春だ。どのような物語よりも、どのような映画よりも、胸が熱くなった。
そして、この車のもうひとつの重要な売りが「33歳のセダン」である。まさに、私の世代のライフサイクルを絵に描いたような、陽水世代を狙われたような、そのとき33歳の私はまさに日産の販売戦略にノックダウンさせられたわけだ。セフィーロとの出会いはそれほどの衝撃だったのだ。
スペイン語だったか、そよ風の名をもつこの車は、何と言ってもスタイルがいい。4ドアセダンでありながら車高が低く、ロングノーズ。FR。エンジンは直列6気筒、115馬力のRB20D。2000ccという贅沢に憧れた世代にとっては理想の1台だった。さすがにターボ付きの20DETには手が届かなかったが、このエンジンは、そのスムーズな吹き上がりが業界でも評価が高かったようだ。当時、流行っていたいろいろな車を酷評する「間違いだらけの車選び」なる本でも、このエンジンは評価されていた。
エンジン、サスペンション、シートや内装の色、生地、ボディカラーを自由に組み合わせることができ、オリジナルな1台を作れる。プロジェクターヘッドランプ、日照センサーが組み込まれたオートエアコン、オートドアロック、トルクコンバータの変速のタイミングをパワーモード、スノーモード、ノーマルモードと3つに選べるスイッチ。一目見て気に入った。まさに心が動いた。ここまで理想の車があったかと。
結局、ボディをパールにし、他人が選ばないであろうシート地を選択、リアワイパーとオートスピードコントロールをオプションでつけて、値引き交渉の末、諸費用込み200万円ちょっとで初めての新車を購入した。
またこの年、今の組織、アイベック・ビジネス教育研究所を設立した。以降、この車は23年間社用で活躍することになる。私にとって理想の車で通勤、客先にも行ける。私の憧れを具現化してくれたのである。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )