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2012 年 4 月 4 日

車への憧れ その2 - 決断、フーガ(Y50)

 車に限りない憧れを持った私が、子どもの誕生をきっかけに買った人生で初めての新車、日産セフィーロA31。私にとっては理想の車。今も惚れ惚れするスタイル。あれから23年。セフィーロは、今もマンションの駐車場にある。
 会社設立以降、社業を支えてくれた車である。そのスタイル、性能、走りの感覚に今も不満はない。子どもの成長とともに23年間、無事故、無故障、無違反である。
 しかし、さすがに内装のプラスティックの一部の表面が溶けてきた。触ると黒くべとつくのでサランラップでカバーした。ボディの塗装は、ドアとフェンダーで色の褪せ方が変わってきた。見栄えが悪い。これはどうにもならない。全体を塗装するしかない。30万円はかかるか。

 家族も、双子の子どもは一人が就職し、この4月で社会人2年生になった。もう一人も、大学6年生。某企業の内定を得た。来年の今頃は社会人である。私の家庭も変わった。会社も23年、社員も変わり新しい時代に入りつつある。セフィーロは、この6月に車検を迎える。というわけで、一大決心をした。替えることにした。

 しかし、車への憧れはまだ続く。中学生のときだったか、石坂浩司氏が「いつかはクラウン」というコマーシャルメッセージを送った。このコマーシャルは、当時、大いに話題になった。当時はマイカーを持つこと自体が贅沢であった。一般的に、庶民はマイカーを持てないというのが常識だったのだ。それが、高度経済成長のおかげで、自分もがんばれば車が持てそうだという時代になる。
 トヨタなら、まずはカローラがエントリー車。独身者ならスターレットだろう。課長になったらコロナ。部長になったらマークⅡ。社長になることは、まずはないだろうから「いつかはクラウン」と憧れるのである。日産ならば、マーチ、サニー、ブルーバード、ローレル、セドリック、グロリア。こんなイメージに、スペシャルな存在として、セリカやシルビア、ソアラやフェアレディZがあったわけだ。
 私は子供心に、マツダのルーチェ、いすゞの117クーペ、スバルのレオーネなどにも憧れた。

 この世代の憧れを、ワタミグループの会長、渡辺美樹氏が実践しているという。氏について私はその人となりを語るための資格も情報もないが、マスコミから受ける印象では一目も二目も置いている。現時点で、尊敬とまでは行かないが気になる存在だ。(事業を営む身としては、レベルが違うが‥‥‥)
 私より4歳年下で「いつかはクラウン」世代。いつかはお金を貯めて、中古でもいいからクラウンに乗りたいと夢を見たという。財を成した今でも、中古のクラウンを買い換えて乗っているのだそうだ。

 そういう意味で、今回、私はセフィーロの後継にフーガを選んだ。私にとっては「いつかはクラウン」は「いつかはセドリック、グロリア」である。どちらかといえば、私は日産派。日産自動車の社員の研修も担当することがある身では、クラウンの選択はない。
 子どものころにプリンスに憧れたが、プリンス自動車は日産自動車に吸収されて今は会社がない。現行のスカイラインも見に行ってはみたが、新車で400万円近い金額になり贅沢だ。セドリック、グロリアは、現行車種がない。そこで後継車のフーガである。新車では500万円近い。仮に、今の売れ筋である、トヨタのアクアを買ったとしても、諸費用込みで200万円、プリウスを買ったとしても280万円くらいにはなる。経費削減。そこで、中古車である。

 インターネットで見ていたら、パールホワイト色、6年落ちのフーガ2500GTが、16000キロ弱の走行距離で、180万円台で出ていた。これなら諸経費込みで約200万円だ。早速、見に行った。
 外装はパールホワイト。これは希望どおり。内装のファブリックがベージュ色で、これが悩ましいところであった。本当は黒が欲しい。また、フーガにしては余計な装備がついていない分、物足りない面もあった。本当はスポーツパッケージくらいの装備があるとよかった。しかし、走行が少ない分、汚れもない。ワンオーナー車で禁煙車。トランクルームに敷いてあるファブリックなど無傷。まるで新車のようだ。即決した。

 車への憧れ、例えば独身時代には、深夜にわざわざ山道へ行ってタイヤを鳴らしながら走ったりした。深夜の駐車場では、わざとスピンさせて遊んだこともある。縦列駐車、車庫入れは、素早く1回できれいに入れる。これは、今でも大好きな運転パターンだ。

 会社を設立して以来、私の車の使い方は、仕事でたまに客先へ行くのと、ほぼ毎週土曜日に神田の事務所と自宅の間で荷物や書類の運搬をすることだ。自宅から神田まで、どの道を通ろうか、どの角を曲がろうか、どのくらいの速度で走ろうか、その間の走行パターンをイメージし、そのとおりの運転をすることが楽しみのひとつだ。しかし、これからはもう少しゆったりと乗って移動しよう。
 来週納車される車にセフィーロと同じだけ乗るとしたら、あと17年。私は74歳になる。74歳か。まだ若いな。次もあるかな。

 子どもの頃からの車への憧れ、ひとつの時代が終わる。

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代表

関根健夫( 昭和30年生 )