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2012 年 7 月 4 日

人生は運だ その4 - 大阪、東京、新幹線13時間半の旅

 私は全国に講演、研修に伺う。今週は東京で研修の後、名古屋、広島、茨城。来週も千葉で講義をして北海道へ、戻って神奈川で研修をして大分へ、とこんな具合だ。ほぼ毎週、東京と地方を1~2往復している。多いと3往復することもある。
 移動には航空機、新幹線などを多く利用する。わが国の交通インフラは、実に正確に動く。20年以上この生活を続けてきたが、常識的な遅れを除くと、航空機の欠航、列車の運休で移動ができなかったことは、多分10回もなかったと思う。ありがたいことだ。
 しかし、去年から今年にかけては数回あった。

 昨年3月11日の地震のときは仙台にいた。この時のことは、このブログの該当ページに表しているのでご覧いただけるとありがたい。せつない思いをしながら帰って来た。
 9月には、台風12号。広島にいた。最終の羽田行きが欠航になり、広島空港に隣接するホテルに1泊した。延泊の精神的つらさはあったが、なかなか快適なホテルだった。この日は金曜日で、次の日には講義がなかった。昼から新幹線で帰って来た。
 同じ9月、台風15号。富山からの飛行機が欠航した。JRの列車もすべて運休。この日は木曜日、翌日には千葉で講義があった。結局、レンタカーを借りて、自宅まで約560キロを、トイレ以外はほぼノンストップで帰って来た。疲れはしたが苦ではなかった。車の運転が好きでよかったと心から思った。

 そして今年は6月19日、台風4号が近畿地方に接近した。この日、17時まで大阪府八尾市にいた。19時の飛行機で帰る予定だったが、早い段階で夕方以降の便の欠航が決まった。新大阪駅に行ってみた。新幹線は時刻通りに発車していた。東京までに10分程度の遅れが見込まれるというが、その程度ならと18時27分発、のぞみ号に乗車した。
 途中の車内では、風雨の情報が逐一アナウンスされた。台風は18時ごろに紀伊半島に上陸し、その後、時速50キロほどで北東に進んでいるという。私はパソコンでもその情報を見ていたが、概ね最新の情報が車内アナウンスで提供されていた。さすがだ。
 京都を過ぎて、豊橋、浜松間で強風のため運休中との情報があった。やがて、それがおさまり運転再開。次には浜松、静岡間で運休。それもやがておさまったようだ。この時点で、列車は名古屋まで来ていた。少しの遅れで名古屋駅を出発した。
 三河安城駅を過ぎたあたりか、今度は静岡以東で風が強くなってきたという。私は、それもやがてはおさまるだろうと思った。すると、今度は富士川の水位が増して運休という。
 やがて、私の乗った列車は豊橋駅手前で止まってしまった。車内アナウンスは、富士川が危険水位を超えたことを伝えた。風は、吹かなければそれでおしまいだが、水位となると瞬間的なことではない。これまでの降雨が山間部にもたらした水量が問題だ。嫌な予感がした。

 豊橋駅手前で止まった列車は、結果的に6時間ほど動かなかった。右カーブの位置に止まったので、当初は気にならなかったが、車体がわずかに右に傾いたままの状態は、疲れる原因になった。
 私はこの日、列車で東京に向かうこと自体が、そもそもイレギュラーなことだった。しかし、いつかは東京に戻れるだろうことを信じ、比較的落ち着いていた。本を読み、パソコンで原稿を書いた。おかげで、雑誌の連載原稿が一つその場で完成した。
 やがて、この列車が豊橋駅で運転終了となるというアナウンスが流れた。午前2時前に豊橋駅のホームに降りた(降ろされた)。駅のアナウンスは、この列車の運転終了と、東へ向かう客には、後続のこだまに乗車すべきこと、名古屋、大阪方面に引き返す客は別の列車が臨時運行することを繰り返し伝えていた。
 同じことを繰り返されるとイライラする。かといって、案内が何もないことも不安だから、アナウンスがあることはよい。しかし、要するに後続のこだま号が、今、何処にあって、いつごろ到着するのかが知りたいのだが、そういう情報はない。豊橋駅のホームには、運転中止になる列車がおおよそ30分ごとに、順次入ってきた。運転中止になった列車は、しばらく目の前に止まっている。これが恨めしい。
 結局ホームに立っていても風は強いし、雨は吹き付ける。ベンチは濡れていて一部しか座れない。だったら、次の列車が来るまでこの列車の車内に座らせてくれても良いだろうと思った。アナウンスは「この列車にはご乗車になれません」を繰り返す。これがいつ、何処へ移動するのか。その間、JR側はどのような努力をしているのか、その情報と見通しがないと納得しにくい。アナウンスの内容が下手だなと思った。しかし、そういうクレームを言う人もいない。日本人は何と従順なことか。

 結局、3時過ぎに、後続のこだま号がホームに入って来た。これが静岡までは行くという。相変わらず、富士川は危険水位だという。乗っていた多くは、東京方面に帰りたいビジネスマンである。少しでも東京に近づきたい、思いは同じだろう。
 4時過ぎに静岡に着いた。東の空が白み始めた。下りホームに新幹線が1編成停まっており、そこを仮眠所として開放しているという。しかし、私より早い列車に乗っていた人が、静岡で降ろされたのだろう。混雑していた。
 上りの新幹線始発は6時22分であるが、富士川の水位はどうか。車両のやりくりがついているのか。そういった情報はもたらされずに過ぎた。

 ふと気が付くと、在来線の上りは貨物列車が何本も過ぎていく。とっさに考えた、在来線の富士川鉄橋は通れるようだ。三島まで行けば、始発のこだま号が静岡より数多く出ているはずだ。5時4分発の在来線始発で沼津へ向かった。
 沼津で乗り換え、三島へ着いたのは6時20分ごろだ。思惑通り朝6~7時台は、始発のこだま号が数本あるが、これも遅れるという。当初10分程度とアナウンスがあったが、これが来ない。車両のやりくりがつかないのか、結局6時22分発のこだま号が30分ほど遅れて発車した。小田原で立錐の余地がないほどに混雑し、7時40分ごろに新横浜に着いた。この日の研修が相模原だったので、新横浜から研修会場へ向かった。

 その列車にそのまま乗っていれば、東京には8時ごろに着くはずだ。大阪を出てから約13時間半だ。もし、あのまま静岡で新幹線の始発を待っていたら、おそらくもう1時間は遅かっただろう。新横浜で降りても、この日の研修には間に合わなかった。東京までなら14時間半だった。
 去年から今年にかけては移動のトラブルが多い。しかし、今のところそれで仕事に支障を与えてはいない。私は、本当に運がいい。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )