2012 年 10 月 9 日
ひこうき雲 ― 18歳の思い出
先日、社員の退職の歓送会の後、自宅でパソコンを操作し松任谷由実さんのCDを15枚注文した(らしい)。実は不覚にも飲みすぎてしまい、帰る途中も帰ってからもよく覚えてはいないのだ。
とにかくCDは送られて来た。何故15枚かというと、16枚目の「DADIDA」からは、CDをすべて持っているからである。松任谷由実さんの楽曲は、私の好きな音楽のナンバーワンといってよい。(加山雄三氏は別格である)
私が松任谷由実さんの音楽を聞いたのは、18歳、大学1年に遡る。
同じ建築学科の友人であるY君が、これはいい、とにかく聞いてみろと熱く語って持ってきたのが、当時結婚前の荒井由実さんの2枚目のLPレコード「ミスリム」である。
自宅へ帰って聞いた第一印象は、何だコレは、ダメだコレは、である。収録されている1曲目の「生まれた街で」は、「いつものあいさつなら、どうぞしないで、言葉にしたくないよ、今日の天気は‥‥‥」と歌う。この音階が最初から常識外に外れている。今までの歌謡曲になかった旋律のイメージで、後にニューミュージックなどといわれたが、そういう音楽なのだ。また、歌手の声にも声量があるわけでもないし、いわゆる可愛いアイドルでもないし、最初はまったく魅力を感じなかったのが正直な感想だった。
Y君はいろいろと調べたらしく、彼女が我々より1歳年上の19歳であること、東京都八王子市のふとん店の娘であることなど、それは熱く語っていたものだ。
初めはどうと思うこともなかったが、何回か聞くうちにだんだんその叙情に惹かれていったことも事実である。
「海を見ていた午後」という曲では「山手のドルフィンは、静かなレストラン、晴れた午後には遠く三浦岬も見える」とか「ソーダ水の中を、貨物船が通る、小さな泡も、恋のように消えていった」といったフレーズが悲しかった。それに憧れて、わざわざドルフィンを探してまで行く若者が多かったが、私もその一人になった。
「瞳を閉じて」では「風がやんだら、沖まで船を出そう、手紙を入れた、ガラス瓶を持って」などというフレーズに、両親にいわゆる田舎がない私は大いに憧れたものだ。
この瞳を閉じては、ラジオの深夜番組で、長崎県五島のさらに離れた小さな島にある五島の高校の分校生が、分校には校歌がないということで、曲を作ってくれないかとの投稿を行い、それに荒井由実さんが答えたものである。このことはNHKの新日本紀行という番組で取り上げられた。その高校生は、卒業後に八重洲地下街の日本食堂でウェイトレスをしていた。家族で外出したときに、わざわざそこで食事をした。長崎の離島から一人上京して働いている人を見て、社会の現実を感じていたものだ。話しかけることはなかったが。
ミスリムによって、Y君の気持ちが分かってきたので、デビューアルバムである「ひこうき雲」を借りた。
タイトルにある「ひこうき雲」という楽曲は、少女が高いビルから飛び降り自殺する、その瞬間を詩にしたものだ。彼女はその瞬間に空を見上げて彼女なりの幸せを感じたのではないか、という歌詞は「他の人には分からない、ただ若すぎたと、思うだけ」と続く。この歌詞は18歳の私に人生の刹那を感じさせるには十分な曲だった。この曲で荒井由実さんのファンになった。いや、人が生きる意味を問う原点として18歳の私の青春のメモリアルである。この曲を聴くと、私は57歳になろうという今でもあの頃を思い出す。
3枚目のアルバムは「コバルトアワー」である。後にハイファイセットが歌って有名になった「卒業写真」が収録されている。「悲しいことがあると、開く皮の表紙、卒業写真のあの人は‥‥‥」「人ごみに流されて、変わっていく私を、あなたは時々、遠くで叱って」と時を越えた歌詞が印象的だった。
「ルージュの伝言」では、「あの人のママに会うために、今一人列車に乗ったの‥‥‥」「あの人はもう気づく頃よ、バスルームにルージュの伝言」「ママに叱ってもらうわ、マイダーリン」何ともモダンな女性である。まさにそれまでの歌謡曲にはない、ニューミュージックにニュータイプの女性像を感じたものだ。
ということで4枚目のアルバム「14番目の月」も聞いた。有名な「中央フリーウェイ」、切ない気持ちを歌った「グッドラック・アンド・グッバイ」が収録されている。
しかし、当時はそれほどお金が自由になるわけでもない。以降の数枚は、当時流行していた貸しレコードである。デッキでカセットテープにダビングした。社会に出てからは、レコードを買った。16枚目以降はCDになって、今もすべて持っているというわけだ。
今回、懐かしい音楽をCDで聞き、好きな歌手がある人生は、何とも幸せなことだと考えた。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )