2012 年 11 月 16 日
夢のような復興 - 役所の発想
東日本大震災について、このブログでも何回か述べた。犠牲者の方々には心からお悔やみ申し上げる。また被災者にも心よりお見舞い申し上げる。
その被災地の復興が進んでいないという。その進度が速いのか遅いのかは、私は実務を詳しく知っているわけではないので何ともいえない。マスコミは復興が遅れているとしか報道しないが、実際、各自治体の職員のご努力は大変なものだろう。むしろ、数兆円にも上る復興予算を管理、執行する復興庁の職員が300名ほどだというから、国の本気度のほうが疑われる。
最近、気になる報道があった。
津波被害を受けた自治体が、市街地の土を盛って、かさ上げしようとしているという。その後、区画整理して街区を再現しようとしているというのだ。かさ上げは、1~6メートル、地区によっては最大17メートルだという。これにかかる費用、土砂の量、期間は膨大なものだろう。区画整理の利害の調整だけでも、全国の同種の事業が数十年単位でかかっている実態を見れば、完成するのはいつになることか。
いやな言い方で申し訳ないが、当該地域に住んでおられた、仮に60歳以上の方は、命のあるうちに復興が終わるだろうか。私には絶望的な計画と思われる。
ああ、やっぱりと思った。恐れていたとおりになっている。旧態然たる、お役所仕事である。
そもそも役所の人に斬新な、復興へのグランドデザインは描けないだろう。土盛り、区画整理、道路付け、宅地開発、建築許可など、細切れ事業を設定し、予算を立ててその都度入札で業者を決めることになるのだろう。予算が省庁のひも付き実態もあるのであれば、これも旧態然たるお役所仕事そのままではないだろうか。これも、土木建築業者への配慮か。これでは、スピード感のある事業にはならない。失望感。
私も建築を多少は学んだことのある身、都市計画に興味や夢を抱いた身である。こういった話にはそれなりの思いがある。
土盛りをすると、地盤は弱くなりがちだ。今後数十年、数百年の地震、地盤の変動を考えると、地すべりなどのリスクを負う。住宅地を買うなら盛り土の区画より切り土の区画を選ぶほうがよいのは常識的だろう。そこに旧来の市街地を造っても、タダでさえ過疎化が進んだ地域、さらに震災で人口も減った地域では、賑わいを取り戻すことは不可能に近いだろう。
数メートルのかさ上げでは、また起きるかもしれない数十メートル級の津波が来れば、また今回のようになってしまうかもしれない。そこに旧来の発想で街を作れば、また同じような避難行動を強いられるだけである。一般住宅の人々、特に高齢者を数百メートル離れた高台に移動させるような避難を要する、旧態然とした街になってしまう。そんな街づくりをしてはならない。
では、どうするか。
今回の被災で、鉄筋コンクリートの構造物はほとんど残っている。しかも、20メートルほどの高さのところにいれば、ほぼ安全であることも分かった。この点から考えると、港湾、労働の場、消費の場、集いの場、居住の場を一体的にグランドデザインした、高層建築物をバランスよく配置した街を計画するのが最も早い。いざというときには、高層階に短時間で移動できるシステムを考えればよいのだ。地盤をいじる必要はない。土盛りはほとんど不要だ。
答えは、アラブ首長国連邦の都市、ドバイのイメージである。一時話題になった、都市である。ドバイの例が必ずしも成功しているかは何ともいえない。むしろやりすぎた贅沢な計画に、金融危機が重なったので、事実上は失敗かもしれない。しかし、その発想はイメージ的には使えるし、参考にはなる。
被災地の方には申しわけないが、一面が被災した広大な敷地は、バブルの時代に夢のような未来都市をデザインして競っていた日本の大手ゼネコンの夢を果たせるチャンスなのだ。夢のような未来都市をデザインした大手ゼネコンに、数兆円の国家予算を割り振り、一つずつの地区を預けてはどうか。
少なくとも自治体の建築課では夢のような発想はできないだろうが、民間にはデザイナーがいる。海外から有名な建築家を呼んで競わせてもよい。
結果、発注も一本で、話は早い。
復興の速度が格段に速まる。
鉄腕アトムが飛び交うような未来都市が生まれるのだ。
結果がそのゼネコンの世界的評価になるから、必死にやる。
そのノウハウが輸出できる。
世界中から見学者が来る。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )