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ブログ

2013 年 1 月 5 日

人を幸せにするもの - 豊かさ

 新年に当たって、毎年考えることがある。それは、どうすればより豊かになれるかということだ。年末に書類の整理をしていたら、23歳のときのメモが出てきて、同じ趣旨のことが書いてあった。進歩のない人間だと思った。

 私は今が不満なわけではない。むしろ、こんなに幸せでよいのかと思うほどである。住む家があり、さしあたって明日食べるものがあり、家族が健康で、友人もいて、好きな趣味や旅行もできる、何の不満もない。このところ事業は伸び悩んでいるが、さし当たって今年か来年に赤字になることはあるまい。本や雑誌の連載の執筆も思うようには進まないが、信頼を失うほどいい加減な原稿を書いてはいないと自負している。努力不足は恥じるが。
 しかし、それでも豊かさを求めるのはなぜか。これを向上心といえばそのとおりである。向上心は人が持ち得る、最も大切な概念の一つであろう。しかし、私も含めて、どうも今の日本人は少し違う向上心のDNAが埋め込まれている気がしてならないのだ。

 毎年、年末か年始に軽井沢に行く。東急ハーベストクラブに1~2泊する。超豪華とはいえないが、それでも結構贅沢なバイキング料理を食する。それはそれで私にとっては至福の時間である。しかし、それらを前にして「食べるものがない」とクレームをつけている30代と思われる女性を見ると、複雑な気持ちになる。豊かな気持ちになりたくて、軽井沢まで来ているが、そんな人を見ると暗い気持ちにもなる。そこまで言わなくてもいいのではないか、ホテルにクレームを言うなら時と場所をわきまえたらどうか、とこちらもクレームの一つも言いたくなる。そういう人に限って座る姿勢が悪い、足を組んで、髪をかき上げながら、気だるそうに食べている。こちらとしては、見苦しい限りである。

 一方、私だってもっと広い家に住みたいとか、もっといいものを食べたいとか、もっといい車に乗りたいとか、もっと頻繁に旅行に行きたいとか、このような思いがまったくないかといえば、それはどこかでウソになる。今の立場に満足しつつも、事業を発展させたいと思うこともまた事実だ。
 いつまで生きるか分からない中で、将来の健康や生活資金などの不安を言い出したらきりがない。だいいち、私の仕事には退職金がない。一般のサラリーマンでも、退職金で十分な老後を過ごせるか、年金はもらえるか不安なのだろう。だから、もっと安心できるように、と思うのだろう。
 ある意味で、豊かさの追求はストレスになる。今の幸せを棚に上げて、クレームの一つも言いたくなるのかもしれない。
 今の社会はストレス社会である。だから豊かさを追い求める。だからまたストレスが溜まる。どこかいたちごっこに見える。癌という病気の最大の原因はストレスである、という話を聞いたことがある。いくら癌の心配をしてあれはいい、これはダメと節制していてもストレスからは脱せられないし、幸せになれそうもない。癌が増えるだけだ。気にしないことが一番いいのだという。

 いつか、国民に痛みをともなう改革を訴えて総理大臣になった人がいた。消費増税にせよ、電気料金値上げにせよ、公共的サービスの削減にせよ、そのことの可否はもちろん議論すべきだが、今のこの国を改革するために、一人ひとりの人間が何らかの負担をしなければならないということは確かなことであろう。
 2013年、この新年に、事実上、新しい政権が誕生した。きれいごとだけではなく、国民にはっきり「ガマンしろ」と言える政権であってほしい。

 人が豊かになろうとすることには、同時に痛みやガマンが必要なのだ。いや、ガマンするからこそ、豊かさを感じられるのだ。そのことを、はっきり自覚してこそ価値ある人格を持つことになるのではないかと思う。あれはしない、これはやめようと、あえて痛みを受ける覚悟、ガマンを自覚すること、その中に豊かさがあるのではないか。

 それは分かっていても、あれもしたい、これもしたい、そのことが思いめぐる正月である。凡夫。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )