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2013 年 2 月 18 日

人を幸せにするもの その3 - 科学と技術

 一昨年の3月11日、東日本大震災以来、どうしても次のようなことを考える。
 それは、100%の完全、安心はないということだ。それなのに、マスコミを中心に脳天気な印象を植え付ける論調が目立つ。新聞でも、家族が離れ離れになった家族を取り上げて「原子力発電所さえなかったら」などという記事を、これでもかと言うほどの紙面を割いて紹介している。まるで「子ども新聞」の感覚である。スーパーマーケットなどでも「食の安全、安心」などというポップを目にする。それを売り物にする。消費者は、それが当前であり、正義のような錯覚に陥る。事実上何の問題もないものでも、疑わしいものは売れなくなる。いかがなものか。例えば、土の付いた地場野菜や近海ものの魚である。

 日本は多くの分野で、世界で最も安全、安心できるはずの国だろうと思う。それは政治の安定、国民性などいろいろな説明がつくが、その一つは科学と技術だと思う。世界一安全な高速鉄道である新幹線、自動で前の車を追尾し自動で止まる自動車の技術は、素材や人間の生理を科学的に分析することから始まり、さまざまな要素を技術的に組み合わせてできたものだろう。つまり、社会の問題を克服し、理想を具現化するのは、科学と技術である。科学と技術は人を幸せにするものだ。私は、もともと工学系の学部で学んだ経験があるので、そのことには一端の人間として誇りを感じる。

 しかし、今の風潮は本当に人を幸せにしているか、大いに疑問だ。
 例えば、地震である。もし地震が起きるとしたら、それはどのくらい先のことなのか、震度はどのくらいなのか。最近、科学的分析の結果として、そういう情報が報道され、何かと話題になっている。今後30年間に震度6以上の地震が起きる可能性が○%だとか、最大○メートルの津波が押し寄せる可能性があるとか、である。
 ある海岸では30メートル以上の津波が来る可能性があるという。東京湾内でも5メートルという話もある。これらは可能性の問題だ。起きるかもしれないが、起きないかもしれない。いくつかの最悪の事情が、たまたま重なってしまった場合に、そのレベルを否定できない、というのが科学的な解釈であろう。つまり、必ず起きるとは言っていないのだ。

 しかし、こういう科学的知見に基づく数字が出ると、人々は多いに不安になる。起きる可能性があるのだから、それに合わせて対策を考えようとする。つまり科学的な解釈が、あたかも現実であるかのように社会的に認知されてしまうのだ。このことにこだわると、ものすごいコストになる。場合によっては、そのものの必要性まで否定されてしまう、愚かな結論を生む可能性がある。

 例えば、地震が起きても絶対に壊れない建築を造ろうとする。ガラス1枚も割れないように、壁にわずかなヒビも入らないようになどと考えれば、大変なコストのかかる建築物になる。ガラスのヒビが怖いから、万が一割れるといけないから、いっそのこと窓をやめてしまえと考えれば、日の当たらない住みにくい家になる。法的には24時間換気装置の稼動が義務付けられるので光熱費は膨大になる。
 地震が起きたら、ガラスや壁にヒビくらい入っても、落下しなければ構わない。建物が多少の被害を受けても、それは仕方がないことなのだ。建築物は人の命を奪ってしまうほど決定的に崩れることさえなければそれでよい。そういうことが起きたら補修すればよいだけの話である。このほうが現実的である。というのが、建築技術を学んだ私の常識だ。

 例えば、電磁波が人体に影響を与えるのではないか、と疑っている人がいる。電磁波が怖いから、電線に近づくのは不安だという人がいる。
 私の知る限り、低周波の電磁波(電磁界)が人体に悪影響を与えることの科学的な証明は世界中に一つもない。しかし、同時に、人体に影響を与えないことの証明も一つもない。したがって、現時点では影響するとの科学的知見はないが、将来的にそれが出てこないということも証明できないわけだ。
 これを口語では「起きる可能性を否定できない」という。これは科学の領域の言葉であろう。この言い方に、一部の人々は不安を抱く。だったら、電気製品を使うのをやめればいいだけの話である。そうすれば安心できるのだが、現実にそれをしたくない自分がそこにいる。だから、不安という概念を持ち続けながら生きていかなければならないのだ。これが心理的ストレスになる。

 科学の知見が、人の感情をもてあそぶ。必ずしも人を幸せにしない例えだ。科学だけで人間は生きていけない。科学的知見を生かすのが技術である。今回の災害で、人間は技術を過信し、おごった面もある。それはそれで反省する必要もあるだろう。しかし、科学的知見を過信し、それに怯えることもまた愚かなことである。人を幸せにするのは、科学と技術のバランスを理解することなのだ。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )