2013 年 3 月 3 日
人生は運だ その5 - 初めての手術
ルスツスキー場でスノーボードをして転倒した。体重のかけ方を変えて、いい格好をつけたつもりで滑っていたら、ボードが乱れて、体が前に2回転した。左肘を強打したようだ。
最近は、1日スノーボードをしていても、一度も転ぶことがないことも多く、多少自信過剰で調子に乗りすぎたかと、今は反省している。安全第一である。無理はいけない。
しまったと思いながら起き上がったが、外れたゴーグルをしようにも手が上がらない。同行していたOさんが止め具を付けてくれ、とにかく下まで降りた。左手が上がらない。痛みも強くなる。
パトロールの人に事情を話したところ、スキー場の車で病院に送迎してくれると言う。待つこと数十分、山の反対側からワゴン車が来てくれた。ルスツはホテルや遊園地もある一大リゾートでそれだけ広いのだ。奥のほうのゲレンデの下は、一般道路では、山二つ分ほど回って来なければならない距離なのだ。
車で小一時間、倶知安の総合病院に到着した。私の前にも救急車で運ばれたスキー、スノーボードの人たちが3人いて、ロビーで待つこと1時間以上。その後も、数人が運ばれてきた。皆、ニセコなど近辺のスキー場で滑っていた旅行者である。ああ、毎年何度も行くスキー場の裏ではこういうことがあったのか、この地域の急患はイコール整形外科なのかと社会勉強した。ちなみに、診察してくれたこの病院の院長も整形外科医。私の前に診察を受けた女性は、即入院だった。
車で運ばれる間、待つ間、あのときの一瞬を後悔した。一瞬の出来事によってもたらされた明暗にさいなまれた。
私の診断結果は骨折。ギブスをはめられ、来たときの車で戻る。申しわけないので、帰りはタクシーで帰ります、と申し出たが、ルスツの運転手は、会社からの指示で、最後まで付き添うと言う。「私たちのホテルはそういうホテルなのです」と、この言葉に感動。
スキー場に戻り、不自由ながらなんとか着替えて、早いバスに変更してもらい、千歳空港へ。全日空のフロントに事情を話し、早い便に振り変えてもらい、帰宅。それでも21時過ぎ。
翌週は、痛みを押して名古屋で研修。次の日からの研修は代講をお願いし、病院を探して手術。初めての入院である。
ありがたいことに、これまで大きな病気もけがもしていない。検査と人間ドックで2度入院しただけで、これはほとんど出張でホテルに泊まる感覚であった。
全身麻酔での手術。2時間ほどして意識が戻る中、激痛を感じ始める。こんなものかなと思いつつ、やはり痛いものは痛い。絶えるしかない。
そうか、手術とはこういうものなのか。身をもって初めて知ることである。今まで、何人もの人を見舞ったが、私は、はたして病人の痛みを分かっていたのかと反省。
午後10時、麻薬成分を含む鎮痛剤を注射され、その夜は痛みに耐えながらも朦朧として朝を迎えるこことなった。
こういう経験は二度としたくないと思いつつ、あの一瞬の明暗を憂う。
同時に、右手でなくて運がよかった、肩でなくて運がよかったと思う。人生はいろいろな経験をさせてくれる。これも勉強だ。経験できて運がいいと思う。手術を受けた人の痛みが少しは実感できた。あこがれの加山雄三氏も、大きなケガで手術をしている。レベルはともあれ同じような経験ができた。これはよかったと思う。ことにしよう。
今回のことは、好きなスノーボードが上手くなったからこそ起きた、たまたまの出来事だ。次回からは過信するな、との神様のメッセージである。
わがままな人間に付き合ってくれた、ルスツリゾートのスタッフ、倶知安厚生病院のスタッフ、手術してくれた地元目蒲病院のスタッフ、社員、家族に感謝である。
友人のSさんからメールが来た。
「死なない程度であれば、全ての苦しみは私を強くしてくれる。」 F・ニーチェ
代表
関根健夫( 昭和30年生 )