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2013 年 3 月 30 日

新たな経験と実感 - リハビリ

 2月27日に初めての手術を経験してから2週間、巻いていた包帯も取れ、リハビリが始まった。できれば毎日が好ましいということで、基本的には毎日通うことにした。4月の2週目からは各地で研修、講演がある。そえまでに、できるだけ治しておこうという目論みだ。

 左腕は、手術で切った傷口がヒリヒリと痛む。肘の外側、切った周囲の筋肉はカチカチの硬さだ。多くの人の肘は、伸ばした状態から内側に145度、外側に5度ほど曲がるのだという。私は内側に90度ほどしか曲がらない。例えば左手は髪の毛に届かない、顔に触れることができない。腕を伸ばしてもマイナス5度どころか15度ほどの位置だ。つまり、まっすぐにならない。これを曲げよう、伸ばそうというのがリハビリだ。

 ここで私は大いなる誤解に気がづいた。リハビリというのは、
「re(再び)」「habilis(適した状態)」であり、機能を回復することと漠然と思っていた。つまり、動きにくい四肢を動きやすくすることだと思っていた。実際には動きにくいのではなく、動かないのだ。動かないものを動くようにする、これが辛い。

 具体的に私がこの2週間で行われたリハビリは、まずは手術で切った傷の周辺をぐいぐい揉まれることだ。理学療法士は、それなりに手加減してくれているわけだが、こちらにしてみれば、まさにぐいぐいである。傷口というのは、触れずにそっとしておくものかと思っていたが、そうではないらしい。痛い。
 これが、日に日に力加減が強くなり、3日目には傷口に血が滲むほどであった。関節の動きがよくなるように周囲の筋肉を揉み、あわせて血行を良くして治癒を早めるのだそうだ。それにしても痛い。

 次に肘を伸ばす、曲げるだ。
 腕は90度までしか曲がらない。どう考えても曲がらない。まるで、ストッパーがかかっているかのようだ。ある程度曲げると、鉄の棒で刺されるような痛みを関節の内部に感じる。これは、骨を止めるために入っている金属が何かを刺しているのではないかと思うのだが、医師によるとそうではなく関節の筋の癒着なのだという。リハビリを数回やったころ、理学療法士に限界まで押された。肘は120度まで曲がったらしいが、耐えられない痛みだった。大声こそ出さなかったが、うめき、息が止まり、涙がこぼれた。
 しかし、自分で曲げれば、やはり90度だ。それ以上は、痛くて痛くてどうにもならない。それでも曲げる。これがリハビリだ。テレビで、手術後のスポーツ選手が顔をゆがめてリハビリをしている姿を見たことがあるが、まさにこれなのだ。リハビリに行くことを嫌うお年寄りがいると聞いたことがあるが、まさに、経験と実感である。

 医師からは、50歳を越えた患者は元どおりにはならないケースも多い、と聞かされていたが、私の腕は、果たしてどこまで回復するのだろうか。それでも、力は入らないものの、左手は頭髪や顔にまで届くようになり、少しはよくなっている気もしないではない。相変わらず痛みはあるし、自由に動く状態ではないが。

 どうやら、長期戦の様相だ。理学療法士から言われる言葉が、私の気を少し楽にする。
「痛いでしょう」
「骨折された方は、皆、同じなのですよ」
「あちらの方も、頑張ったのですよ」(見ると、私より年上の患者さん)
 相手の立場を思いやった言葉、他の例を紹介する言葉である。私も研修、講演でよく紹介している。
「来シーズンもスノーボードができるようになりますから、これを乗り越えましょう」
具体的な可能性を示す、殺し文句である。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )