TOP 1つ戻る

ブログ

2013 年 5 月 21 日

人格者 ― 横江芳二氏

 「人格のある人」がいる。もっとも、誰でも人格をもっているわけであり、皆すばらしい面があり、優しい心を持っているのが人間だから、この言い方は意味をなさないのかとも思う。「人格を感じる人」というと、尊敬できる、他の人よりどこか秀でているというニュアンスが加わる気もするので、すばらしい人ということだろうか。

 そういう意味で「人格者」というと、さらに格上。めったにはいない特別な人という気がするのは、私の勝手な思いである。人間に格付けや分類をすること自体がけしからぬことだという向きもあろうが、そこは私の私見ということでお許し願いたい。

 私には人生において「人格者」と呼べる人が2人いらっしゃる。

 一人は、横江芳二氏である。父の勤務先の当時の社長であった。
 人によって差をつけない。部下である父に対しても、息子である私に対しても、まったく話し方が変わらない。何度か父の会社に行ったことがあるが、社員と話すときもざっくばらん。とにかく面倒見のよい、人のつながりの広い方であった。
 大正生まれで、私の父よりは10歳ほど上だったろうか。氏は、慶応大学卒業。漕艇部に所属していらしたようで、太平洋戦争では陸軍士官だったと聞いた。背が高く、声が大きく、鼻筋が通った、どことなくエキゾチックな顔立ち。ジェントルマンとはこういう人かと、子ども心にそう思ったものだ。

 小学生の頃、父の会社の社員旅行に連れて行ってもらって、氏には大いに可愛がられた。べたべたではない、会話の中で適度な質問をしてくれて、答えると大いに驚いてくれる。ほめてくれる、そんなイメージだ。
 私の高校入試のときも、大学入試のときも、就職のときも我がことのように心配してくださったと、父から聞いた。
 就職のときは、万が一、希望企業がすべてダメだったらと、その会社の社長だったか会長だったかが戦友だという、ある一部上場企業への門戸も用意してくれた。結局、私は自分で探し、応募した藤和不動産に入社し、そのことでお世話になることはなかったが、とにかく心配して実際に道程をつくってくれたことはありがたいことだった。
 私が社会に出てからも、父を通じて話が伝わり、いろいろ相談に乗ってくれた。すぐにそのことを解決すべく人を紹介してくれた。自らも尋ねて行ってくれたこともあり、行動力も破格の感があった。

 私が社会に出てから、氏と父と私とで、新橋の古いバーでご一緒したことがあった。就職した息子と飲めることは幸せなことだと、大いによろこんでくださり、今日は多いに飲みなさいと、一次会で早々に引き上げて行かれた。その日、私は父と二人で、三次会まで銀座のクラブで飲み、父は潰れた。

 ある日、私は父に尋ねたことがある。「何故、横江さんはこれほどまでに、他人に親切にするのか」と。その質問には、私の否定的なニュアンスが多少含まれていたことは否めない。そこまですることはないのではないか、と。
 父はしばらく考えたあとで「あの人の哲学なのだな‥‥‥」と、ひとこと言った。その中には、父にも実感できない、氏が戦争で多くの戦友を失い、自分が今ここで生きていることへの思いも表現されていたのだろう。父の言葉から「生かされていることは、人のためにつくすことである、それが氏の哲学であったのかもしれない」ということを学んだ。氏に哲学があったからこそ、父をしてそう言わしめたのだと思う。父との会話で「哲学」という言葉を聞いたのは、そのとき一度だったと思う。

 父が亡くなった後も、氏は私たち家族のその後のことを多いに気にかけてくださった。
 私が藤和不動産を辞めるときも、新しい就職先をわざわざ訪ねてくれて、その組織を確認し、助言をくださった。「君がやりたいと言うなら、それはそれで俺がとやかく言うことはないじゃあないか」といった結論であり、その結論は決して否定的なものではなく、ことに向かう覚悟を感じさせてくれるものだった。

 自ら動いて人のためにつくす、それは私的なことも含めて、できることは何でも、である。そのことを哲学とする姿。自分で動く、行動する。しかも決して出すぎない。人の志を否定しない。人に迷惑をかけない。声が大きい。はっきり主張しながらも、よく聞く。ジェントルマン。格好いい。当たり前のことだが、なかなかできる人は少ない。私は、後になって、こういう人を人格者というのだと思った。

 一端の意見は言うが、どこか傍観者。自ら動こうとはしない。動いても中途半端。自分を汚さない。反面、自分に降りかかるマイナスは許せない。そんな社会風潮を感じるとき、自らの反省を込めて氏を思い出す。
 他人のお役に立てるのであれば、仕事でもプライベートでも何でもしよう。それが、社会に生きる者の意味なのだから。そう教えられている。私の人生の道標である。

 氏は90歳になられるまで社会で活躍され、昨年鬼籍に入られた。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )