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2013 年 6 月 16 日

人生は運だ その7 - 過酷なまでの運を受け止める偉大さを

 ある日、一瞬の出来事で、自分の足で立てなくなる。歩けなくなる。人の援助を受けなくては生活ができない。想像だにしなかった運命。まさか。もし自分だったら、この刹那をどのように受け止められるだろうか。
 何が起きても運だ。そう思う。人は現実を受け止め、理解するために、論理的思考力、現実を受け入れる人間的な大きさが必要だ。しかし、大きすぎる現実を前にしては、人は何を思い、何ができるのだろうか。過酷なまでの運を受け止める当事者の偉大さを、端の者がどのように許容すればよいのだろうか。終局的には、人はその人にはなれないのであって、人は他人の何をかを理解できようか。無力を感じる。

 北海道に住む親友のS氏が、事故にあった。
 複数個所の骨折、肺、脊髄の損傷。
 入院期間は数ヶ月、その後のリハビリ期間も含めれば1年単位の社会復帰への道のり。それでも下肢に相当の障害、つまり感覚を失うことが必至だという。

 S氏はある企業の管理職であり、将来は役員も期待される人物である。休日、自宅近くの交差点、バイクで青信号を直進しかけたとき、対向車線から無理に右折してきた車に側面から衝突されたという。
 突然の事故。仕事の机上も、パソコンのメールも、取引先との約束も、月曜日以降の予定も、何もかもそのままであろう。組織であるから、部下や後任者が引き継ぐことになるのだろうが、本人にとっては無念であることは筆舌につくしがたいことだろう。

 にわかに仕事への復帰はならない。自動車に乗ることも、バイクに乗ることも、大好きなスノーボードもできない。繁華街に出て楽しむことも、観光地へ行って景色のよい展望台に登ることも、駅の構内を移動することも相当の不自由さ、端的に言えば誰かの援助がなければままならない。いままで普通にできたことができなくなるのだ。
 車椅子は誰かが押すなり、自分で推進することになるが、それに乗ることも、降りることも、腕の力だけですることになるから、そこには相当の訓練が必要だと思われる。そう自在にはできないだろう。

 S氏との付き合いは、20年ほど前、私が研修の実施をお願いに行ったことに発する。彼はその部署の研修担当者であった。一方で、私がある研修の講師をしたときの受講者でもあった。その後、名刺交換。それを機会に何度も会って話をし、研修の講師もさせていただいた。プライベートでも、いろいろな店に行って飲んだ。ご自宅にも泊めていただいた。家族でも伺った。当社のパーティにも来ていただいた。
 スノーボードが流行しはじめたとき、これはおもしろいと勧めてくれ、私へのコーチもしてくれた。こちらが北海道に行くと、よくゲレンデにご一緒した。車で遠征もした。そのうち、カナダのウィッスラーに行こうとも話した。それができなくなるった。言いようのない、重い、空虚な、火の消えたような感情がある。

 先日、お見舞いにうかがった。
 氏は、これは運だ、この現実を受け止めるしかない、と言った。今までとは、180度反対から社会を見ることになったと。過去を振り返っても仕方がないこと、これから何をかしていくかを語った。現実を受け止めると言うのは簡単だ。その背景には無念の気持ちは、もちろん計り知れない。
 住みやすく培ってきた家も、そのままでは住みにくい。改築が必要だ。いや、今後のことを考えると、家そのものを移ることのほうが現実的か、とも言った。ご夫婦でガーデニングをされて雑誌の取材までされた庭、家族の語らいを演出したダイニング、人生に夢を語ったリビング、何もかもが変わることを余儀なくされる中で、何を思うか。

 まさに、人生は運だ。それは、時として過酷なまでに切なく惨い。
 それを受け入れること、それに耐えることのなんと偉大なことであるか。
 言葉を失う。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )