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ブログ

2013 年 6 月 24 日

愛の国から幸福へ ― 30年を経て憧れの地へ 

 私は学生時代に、大田区レクリエーション協会や東京都立青年の家でボランティア活動をした経験がある。当時、子ども会やレクリエーション活動などで、皆で歌ったのが、例えば森山良子さんの「今日の日は、さようなら」であったり、芹洋子さんの「四季の歌」であったりした。このお二人の歌手は、まさに清純派、正統派であって、ある意味で気持ちを整えてくれる。また、比較的身近に感じた歌手でもあった。

 その芹洋子さんの楽曲に「愛の国から幸福へ」というのがある。当時、ヒットした。
旧国鉄時代、全国で駅名ブームがあった。栃木県の「大金」駅は、そこに行くと金運をもたらすと評判になったし、和歌山県の「学」駅の入場券は、受験生のお守りにもなった。
 北海道、帯広から南へ伸びる広尾線に「愛国」と「幸福」という駅があった。これがその当時の最大の人気だった。愛国駅の入場券と「愛国から幸福行」と印字された乗車券が飛ぶように売れた。自動券売機で印字されるものではなく、厚紙でできたいわゆる硬券である。1日に数十人しか乗降客のない駅の切符が、数千枚も売れた日もあったという。
 わざわざ買い求めに行く旅行者、結婚式か何かのイベントで配るために百枚単位で買い求める人もいたという。当時、雑誌の懸賞の商品にもこの切符があったように記憶する。私はこれを1枚持っていた。誰かにもらったか、通信販売で手に入れたか、返信用の封筒を入れて駅に直接手紙を書いて送ってもらったか、忘れた。今はない。

 広尾線は昭和62年に廃線になったのだが、廃線を惜しむ声と相まって、さらに一大ブームになり、廃線後もこの駅は人気の観光スポットとなった。テレビの中継やドキュメンタリー番組でも何度も取り上げられた。カップルで訪れる人も多かった。そんな背景をイメージした歌が「愛の国から幸福へ」である。

 幸福行きを2枚ください
 今度の汽車で出発します
 別々に生まれて、育った二人が
 不思議な出会いで結ばれた
 愛の荷物は分けて持ちましょう
 各駅停車の旅だから

 幸福行きを2枚ください
 切符に二人ではさみを入れる
 つまらない喧嘩も、たまにはするでしょう
 それでも心は離れない
 愛の涙をもう隠さない
 各駅停車の旅だから

 今、思えば、ずいぶんベタな歌詞ではある。それでも当時、恋愛に憧れた私には共感できた。芹さんの歌声はさわやかだった。私にとって、今も心に残る歌の一つである。

 広い大地を走る線路、所々に残る原生林、郊外の駅舎、それはテレビで何度となく見た光景だ。いつか行ってみたいと憧れをもっていた。
 先日、札幌での研修を終え、延泊して念願の愛国、幸福へ行ってみた。帯広の南であるから,札幌からはレンタカーで250キロほどの道のりだ。憧れを持ってから30年ぶりの思いである。その佇まいは、はたして私のイメージどおりなのか。

 愛国駅は、鉄筋コンクリートの小さな駅舎がそのまま展示館になっていた。当時の鉄道グッズが懐かしい。ホームには広尾線開通当初に使われた蒸気機関車が置かれていた。周囲は交通公園として整備され、地元の子供連れが多く来ていた。駅の周辺は住宅が立ち並び、といって東京のように密集しているわけではなく、郊外の静かな街だ。本当に北海道の住環境はすばらしい。

 幸福駅は、畑の真中、原生林が残っている一角にある。周囲には住宅は少ない。ここも木造の小屋のような駅舎が残っており、全国からやって来た人の名刺やメモが多数貼り付けられている。
 ホームにはキハ1100系のディーゼルカーが2両置かれており、そのうちの1両には入ることができた。床が木でできている、昔の列車の臭い、当時この列車を利用した人の思いはどのようなものだったろうか。この列車で通学した学生、この列車で都会に就職していった若者、この列車で嫁いで行った花嫁もいただろう。そう考えると、言葉を失う。
 ここも周囲は公園になっていて、駐車場も相当数が確保されている。整備されすぎて拍子抜けした感はあるが、ホームや駅の案内板には当時のままのものもあり、往時の地元の人の思いも感じられる鉄道施設である。
 今は「恋人たちの聖地」との看板もあり、何組もの観光客がいた。駅前には、当時の駅名ブームの際にできたのであろう、今では相当に古い土産物店が2軒、当時のままの乗車券を売っていた。もちろん、正規の乗車券は発行されていないのだから、複製品である。

 ちなみに、愛国の地名の由来は、明治時代この地に開拓のために入った人々が愛国青年団と名乗ったことだという。幸福はこの地に開拓に入った人々が福井県の方々であったことに由来するという。
 札幌から250キロも離れた極寒の地で、原生林を開拓する往時の人々の労苦、幸せを夢見た思いがこの地の名前であり、昇華し今日へ続いている。
 30年のときを経て憧れの地へ。
 人生にまた一つ、あたたかい思いが実った。

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代表

関根健夫( 昭和30年生 )