2013 年 7 月 19 日
老いるショック - みんないつかは通る道
今年2月にルスツスキー場で転倒、骨折をした。その当時は、入院、手術、リハビリ、不自由さ、痛さなど、すべてが初めてのことであり、そのことに意識が集中していた。
あれから3カ月後、リハビリは一応目的を達成した。そして、この23日であの日から5カ月になる。腕の痛さは残っているものの、それは骨をつないでいる金属の棒が一因。来年2月か3月には再手術をして、これを取り出せばそれなりに楽にはなるようだ。
もう一度入院し、手術。あの痛さを、また経験するのかと思えば憂鬱ではある。が、まあ仕方がない。良い経験をしたと、相変わらず思っている。
この時期になり、この骨折の原因がなんとなく解釈できてきた気がする。要するにスノーボードでスピードを出し過ぎ、バランスを崩して転んだわけだ。だから、不注意が原因なのだが、それだけともいえないと思えるようになってきた。イメージ的にいえば、あのスピード、ゲレンデコンディションでも、2年前であれば転ばなかったのではないかと。
毎年、冬になるとスノーボードには何回か行く。自分は上手くなったと思えて、最も気持ちよく滑ることができたのは、2~3年前だったように感じるのだ。理由はない。感覚である。しかし、ここ1~2年はあまり上達した感覚がない。
考えてみれば58にもなろうという歳だ。筋肉は確実に衰えているだろう。瞬発力もバランス感覚も、果たしてかつてと同じだろうか。これらのことは、無自覚なことである。
私は、毎年もっと上手くなるためにとやってきた。これでスノーボードをやめる気はないし、来シーズンも、もっと上手くなるために行くつもりだ。
先日、友人のS氏と話していたら「これからは上手くなるためではなく、現状を維持するためにやるということだ」と言われた。当たり前のことなのだが、我がこととなると、言われてハッとした。上手くなるどころか、現状維持、いや衰えを少しでも少なくするための滑りをしなければならないのだ。それもそうだ。50歳台後半とはそういう年代なのだと。
そういえば最近は、仕事でも以前と違う感覚がある。もともと下手なのだが、文字を書くとさらに下手である。少しのことでもイライラするようになった。そんな気がする。
かつては、出張先に水着を持って行き、研修後にホテルのプールに入って泳いだり、水中ウォーキングしたりしていた。これもついこの間までやっていたつもりが、考えてみればここ6年間やっていない。経費節減で、プールのあるほどのホテルを利用しなくなったこともあるが。
この調子であと5年、10年と過ぎれば、もう68歳である。今より確実に老いるだろう。何事にもチャレンジする意欲は持ち続けたいが、上手くなろう、上達しようと思うことから、これを維持しよう、少なくとも後退を食い止めようという考えも必要かと考えた。
人生、初の思いだ。
まさに「老いるショック」である。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )