2013 年 8 月 28 日
マンション、造りすぎ - まるで工業製品
私は、武蔵工業大学(現、東京都市大学)建築学科を卒業し、藤和不動産(現、三菱地所レジデンス)で、マンションの企画、計画、販売を行っていた。その職業、会社を選んで入社したのは、住宅に興味があったからであり、国土の狭い日本では、都市部を高層化してマンションを増やすことが現実的だと思ったからである。
狭い国土の日本では、皆が庭付き一戸建てに住まうのは不可能。便利な街中にマンションを建てれば、多くの人が地の利を享受できる。青臭い理屈といえば、そのとおりである。
昭和30年代後半から40年代にかけて、日本は高度経済成長期に入り核家族化が進んだ。当時の住宅数は、単純統計で戸籍数を下回っており、庶民は結婚して家庭を持っても住む家がなかった。そこで、国は住宅公団などを支援し、郊外に2DKの団地を造ったわけだ。
一方、都心部の便利な土地には、木造住宅が密集しており、高度利用しなければもったいない状況であった。ひとたび相続が起きれば、相続税支払いのために土地を売らなければならない人も多く、実際に売られた土地は細分化されて、さらに密集した小さな住宅に変わっていく。
コンクリートの高層住宅であれば、便利な場所にたくさんの人が住める。火災で延焼する可能性が極めて低い。地震でもそう簡単には倒壊しない。少なくとも、その仕事に誇りを持っていた。
当時の藤和不動産では、SD方式と称したマンション建設を行っていた。
土地を持っている人は土地を提供し、当社が資金を投入してマンションを建てる。できたマンションは、土地を提供した地権者と、建物を建てた当社との出資割合によって、マンションの部屋単位で持ち分の権利を得るわけだ。結果として、地権者は土地の持ち分の一部を当社に売り、マンションの一部を対価として得るので事実上の等価交換である。
税制上は土地の一部を、マンションという事業用償却資産に買い替えることになり、単純に売却するより所得にかかる税金が安い。
地権者は得たマンションの部屋を賃貸にすることで、新しい収入が得られる。その資金で生活してもいいし、新しい投資に回してもいい。
私は、結局、愛知県、東京都、神奈川県で、何らかの形で5つの物件に関わったが、当時の社会を考えると、マンション建設は多くの方が便利な場所に住むことができ、都市防災の観点からも有利、等価交換であれば、もともとの地権者にもメリットがあるので、プライドを持ってやっていた。
今では、大型高層マンションが、工場の移転した跡地に造られている。地権者は個人ではなく大手企業だ。その昔は、霞が関ビルのように36階建でもあれば日本一の高層ビルだったが、今では40階から60階位のマンションが普通に造られている。建築技術の進歩といえばそれまでだが、一つの物件で、分譲戸数1000戸などというものもあり、まるで工業製品のような大量生産だ。
よって、新築マンションの売り出しは、相変わらずにひっきりなしだ。一方で、中古マンションが売れずに残る。売りたいときに、周囲に新築マンションがこれでもかというほどにある。それが値段を下げていく。入居者がいない物件は、マンション全体を寂れさせる。その多くは、もともと庶民がローンで買った物件だ。築20年もすると、価格が当時の4分の1、などというものもある。苦労してローンを払い続け、いざという時にこれでは、個人資産がまさに目減り、消滅する悲劇だ。
今、日本の住宅は、少なくとも全体の10%以上が人が住んでいない空き家だそうだ。山間部のいわゆる限界集落の一戸建て住宅などを加えれば、30%近くが空き家という統計もあるらしい。
住宅は確かに新しいほうが気持ちはいい。しかし、メンテナンスとリフォームさえきちんとすれば、100年くらいは裕に使える。現に私の友人のKさんは、ご一家で築百十年の家に住んでいる。
新築マンションの建設と売れ行きは、景気の指標でもある。が、その裏にある既存住宅への評価、価値の目減り。
どこか歯車が噛み合っていないように思えてならない。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )