2013 年 12 月 2 日
臓器移植 - 考えてほしい現実
「臓器移植」私は以前からこのことに興味があった。
興味といっても、何か積極的に活動をしているわけではない。ただ、人の命は大切であり、守れるものは守るべきであると思っていた、欧米に遅れている日本の意識に疑問を感じていた、それだけのことだ。
大学生くらいの頃だろうか、日本では臓器移植手術ができない実態を知った。
例えば、臓器移植が制度として認められていても、実際に提供される臓器が外国に比べて圧倒的に少ない。なぜか。法的な整備の遅れ、国民感情、つまり臓器を提供する人がなかなか出ないのだ。したがって、臓器移植しか生きる道のない人は、言葉は悪いが座して死を待つことになる。外国では治る病気が、日本では治らないのだ。
子どもの臓器移植は、かつては移植そのものが法的に認められてはいなかった。早く認めるべきだと思っていたが、国会は慎重論が多く審議は進まなかった。今は可能になったが、現実的に子どもの臓器提供者は、ほとんど出ないという。
移植すれば治ると分かっているのだから、何とかしようと一部の人はヨーロッパ、アメリカ、オセアニアに移植を求める。これには渡航費、医療費などで1億円以上のお金かかるのだ。それでも、日本は世界的には比較的経済が豊かであり、社会全体にお金があるから寄付を得て渡航できる人もいる。
しかし、こういった状況には、外国から声が上がっているという。つまり、外国でも臓器提供者は、必ずしも多いわけではない。その少ない機会を、どうして日本人に与えるのかという批判だ。
亡くなった人からの臓器提供の機会が限られることから、発展途上国の生きた人からの臓器提供を斡旋するブローカーまで現れた。日本にバブルの余韻があった頃には、フィリピンの人の腎臓を300万円で移植手術できるという話があったという。現地の提供者には70万円ほどが支払われるらしいのだが、現地ではそのお金で一生食べていけるのだとニュースで言っていた。もちろん提供する人は、スラム街の貧困住民だ。このやり方は社会から批判を受け、今は行われていないはずだ。
臓器移植のみならず、人の命を救うことは、あくまで提供者の善意がその根底になければならない。以上のことについては、そのことを知った時期が多少前後しているが、私は一人の人間としてできることはやろうと思った。でなければ、生きるために臓器を売買する人を、私たち健常者が批判する資格があるだろうか。
私だって、そういう身になれば、なりふり構わず手段を探すだろう。家族のためにも生きたいと思うだろう。
18歳で自動車運転免許を取得してからは、献血はもちろん毎年している。20歳のころだったか、腎臓バンク、アイバンクに登録した。私が不慮の死をとげたとき、腎臓と眼球の角膜を移植してもらうためだ。腎臓と眼球は2つあるから、これを一人ずつに提供することで腎臓病の患者2人が助かり、失明した人2人が光を得ることになる。
その後制度が変わって、臓器移植カードが発行された。私は当初から携帯している。最近は、自動車運転免許証の裏にその欄がある。
是非、多くの人が考えていただきたいものである。
自分の命が絶たれても、その時、自分の体の一部が、誰かの命として生きていけることを。そのことで、人として幸せになれる人がいることを。
外国で当たり前にできることが、この豊かな日本でできていないことを。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )