2014 年 1 月 19 日
個人は質素に、社会は豊かに ― 悩ましい新年
新年を迎えた。私は今年の10月に59歳になる。還暦まであと1年だ。
自分が還暦を迎えることなど、想像もつかないことだった。が、1年とあと少し、現実はやってくる。まだまだやりたいことがある。人前で話すパフォーマンスを高めたい。もっと多くの方に、セキネの話を聞いてよかったと思っていただきたい。
いろいろな所へ旅行に行きたい。スノーボードももっと上手くなりたい。加山雄三氏にも会いたい。船の操縦ももっと上手くなりたい。そういう欲はある。
一方で、新年にこれからの人生の幸せを願いながら、尊敬する土光敏夫氏の信念を思っていた。これは、今までもずっと思っていることであり、私にとって永遠のテーマかもしれない。
以前にも書いたが、中学生のときに父親の影響で土光敏夫氏のことを知った。社会に出て20歳代にその偉大さ、生き方に影響を受けた。50歳代、果たしてそのこと実践できているか。
「個人は質素に、社会は豊かに」氏の信念の一つである。
個人が我欲を追求すれば、社会はぎくしゃくする。個人のぜいたくは、環境負荷を増大する。
昨今の世間の風潮は、自分の力で自分の生活を堅実に刻んで行こうとするよりも、行政サービスをいかに享受するかに関心があるかのようだ。役所から手当てを貰えるかどうかにクレームを付ける人が多い。政治家も補助金を制度化し、お金を引っ張ってくることに腐心しているかのようだ。
個人、それぞれが大型テレビを持ち、快適なエアコンを持ち、パソコンを使って何でもできれば人は外へ出なくなる。コミュニケーションもそれなりに希薄になるだろう。皆が外へ出て他人のために活動する、人が集まる環境を整えればコミュニケーションが生まれる。社会の理不尽さを感じることもあるだろうから、他人と協力する知恵も工夫も生まれるだろう。
贅沢をせず、電車やバスを乗り継いで行けば、社会のルールや仕組みも分かる。交通ルールやマナーも学べる。子どものころから家族そろって車で移動するだけでは、黙って座っているだけである。知恵のある子どもが育たない。
我欲を捨て、広く社会に豊かさをもたらすことを考えよう。そういう自分も、社会に飲み込まれる。個人の豊かさを否定することには、現実的にジレンマを感じる。家内の体の弱さを理由に、今年も新しい空気清浄機を買ってしまった。インクが滲むからという理由で、プリンターを買い替えた。
せめてもの抵抗というわけではないが、研修先ではタクシーには極力乗らずに歩くことにしている。贅沢な高級ホテルへの宿泊もやめた。旅先でのグルメも以前よりはかなり減らした。家内にはマイナスに指摘されるが、洋服もなるべく買い替えずに大切に着ている。スノーボードも今の板でずっとやっていこうと決めた。競技に出るわけではない。心豊かに楽しめればいいのだ。物にはなるべくお金をかけず、経験や自分を高めることにお金をつかうことにしたいと決意した。
個人が金銭的に豊かになり、結果、消費を増やすことで経済を活性化する。よって、社会をよくするという、今の時代の考え方に疑問を感じつつ、ではどうするのか。
悩ましい新年である。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )