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2014 年 5 月 31 日

お寿司は手で食べよう - 粋

 私は、食べ物に好き嫌いがない。基本的に、肉も魚も大好きだ。焼肉もとんかつも焼鳥も焼き魚やお刺身も好きなのだが、特にお寿司は好物の一つである。

 江戸前寿司とは、江戸前、つまり江戸の前の東京湾で獲れた魚を、生のまま握り飯の上に乗せたものである。江戸時代には冷蔵庫はないわけだから、獲れた魚をそれほど遠い距離を移動できるわけではない。素朴で地産地消のファーストフードだ。基本的に庶民の食べ物だろう。

 私には、お寿司の食べ方には、できればというほどではあるがこだわりがある。
 寿司店では、基本的にカウンターで食べる。食べたいものを注文し、職人さんに「はい、おまちっ!」と威勢よく出されたものを手で食べる。これが江戸前の粋だと思っている。
 お寿司は手で食べる。これは子どもの時から私には当たり前の習慣だ。叔母の嫁ぎ先のお父上が長唄の家元であり、小学校1年生の時に家に招かれて食事をしたときに教わった。寿司を親指と中指で押さえ、人差し指はネタの上に置く。持った手を前方にひっくり返し、ネタだけを皿の醤油につけるのだ。今でもそうしている。

 家族で行くお寿司屋さんでは、娘には小学生の時からカウンター前に座らせた。といっても御徒町の庶民的な店に何回か行っただけだが。大きな声で「○○をお願いします」と言わせ、出された握りを「いただきます」と手で食べる。自分が教わったように、これも基本的なこととして教えたかった。
 ある日、買い物の帰り、家族で座ったカウンターで、子どもがウニだいくらだと頼んでしまい、私と家内は、赤身、イカ、タコなどばかりを頼んだことがあった。この時は、職人さんが「お嬢さん(高いものをたくさん頼んでくれて)ありがとう」と言って微笑んでいた。親としては恥ずかしい限りだったが、懐かしい思い出だ。
 幼い子どもを、寿司店のカウンターに座らせることの是非の議論はここではしない。私は、お寿司とはこういうものだと、伝えたかっただけである。ある種の情操教育だと思っている。孫ができても、きっとそうすると思う。

 以上の意味で、私は、アメリカ大統領の行ったような高級店には行ったことはないし、回転寿司店にもまず行かない。回転寿司店には、少なくとも中学生までは娘を連れて行ったことはない。もっとも、最近は友達や家内、私の母とは行っているようだ。

 先日、新聞の「作家の口福」という欄に、ある女性作家U氏のエッセイが載った。食に関することで、幸せなことを回転寿司チェーンの「スシロー」について書いていた。
 一人で行っても、その孤独を乗り越える数々のメニュー。メニューには、ケーキやうどん、フライドポテト、マンゴーまでがあり、これをタッチパネルで注文できるのが幸せだという。レーン上の機械が運んでくることまでを、極めて肯定的に書いている。氏は最近「出し入り鶏がら醤油ラーメン」「いちごミルフィーユパフェ」を食べて、申し分のない味わいだったとも。
 私は利用したことがないが、マスコミ等で知る限り「スシロー」というチェーン店は、ビジネスモデルとしては評価が高いようだ。

 この作家が、何を思おうが自由だ。マスコミに取り上げられるだけのことだから、凡人の私とは違った確かな目を評価してのことだろう。しかし、分別あるべき作家が、全国大の新聞でエッセイとして書くのであれば、寿司店というものを、タッチパネルやメニューの多さ、ラーメンやパフェで語らないでほしいと思うのは、私が特異なだけか。
 
 寿司店の評価は理屈ではなく「粋」であってほしいと思う。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )