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2014 年 7 月 11 日

海賊ジャック ― 人生を感じる店

 「海賊ジャック」と聞いて、加山雄三氏の楽曲のタイトルだと分かる人は少ないかもしれない。海の男の伝説をコミカルに歌った、氏の作品の中ではエポックな作品である。ファンは間違いなく知っている。
 今回、紹介する「海賊ジャック」は、広島の繁華街にあるバーである。マスターが、加山雄三氏のファンであることからこの名前にしたのだという。

 私が、この店を知ったのは、広島市の研修センターである。研修会の合間に、皆さんにリラックスしていただこうと、私が加山雄三氏のファンであることを話したところ、どなたかが、マスターが加山さんのファンの店ということで、紹介してくれたのだ。
 いつしか、店に行ってみたいと思い、数年前に中国電力の知人に話をしたところ、知っているというので案内していただいた。

 お世辞にも、きれい、垢ぬけているとはいえない、どちらかというと古びた、カウンターだけのスナックである。店内カウンターの向こうには、大きなテレビモニターがあり、そこでは加山雄三氏の映画、ステージ風景、イメージビデオなどが常時流されている。それを見ながら飲むだけで、私には至福の時間だ。
 壁には、古いポスター、加山さんに限らず1960年代後半から1970年代前半のレコードジャケットが貼られている。ザ・ベンチャーズの当時のものや、渚ゆう子さんの「京都の恋」「京都慕情」(ザ・ベンチャーズ作曲)のジャケットなどは、私の中学3年生の頃の思い出である。

 マスターのN氏は、私と同じ1955年生まれで、広島工業大学の建築科卒。加山さんのファンということとともに、共通点があり親しみを感じる。その人が、何故、スナックのマスターなのか。
 Nさんは、加山さんやザ・ベンチャーズに憧れ、高校生の頃からエレキギターを弾いていたという。広島の家電量販店の階段で同じくエレキギターを弾いていた、当時20歳代の若者と出会う。この若者はギター演奏の技術に長けていて、Nさんは憧れる。二人は意気投合して、その後Nさんは若者のアパートにも入り浸り、他の仲間などともに音楽活動を行う。
 この若者が、九州、水俣出身で、当時広島に就職し、加山さんに憧れ、ザ・ベンチャーズに憧れて音楽を目指していた村下孝蔵氏である。

 Nさんは大学を卒業後、建材を扱う企業に就職した。前後して、村下孝蔵氏は上京し、ヒット曲を連発しメジャーな歌手になった。「ゆうこ」「初恋」「踊り子」など、私もカラオケでよく歌ったものだ。
 村下氏と親しくしていたN氏は仕事を辞め、広島市内に喫茶店を開き、村下孝蔵ファンクラブを立ち上げて事務局を運営する。その後、繁華街に1960~70年代の曲を中心にしたライブバーを開くが、村下孝蔵氏が46歳で病死、ライブハウスを今のスナックに移転、縮小したのだという。
 今は、スナック経営のかたわら、広島ベンチャーズのリーダーとして音楽活動をしている。ザ・ベンチャーズの広島公演は、彼が取り仕切っているという。

 N氏の人生も波瀾万丈。思いがけないことの連続だったと思う。特に、村下孝蔵氏の死はさぞかし無念だったと思う。そんな悔しい人生の中で、彼は楽しそうにお客に水割りを出し、客と音楽について語り、気分が乗ると一人ベンチャーズを披露している。

 私は、最近酒量をセーブしており(えっ、それで!)、最近はあまり行くことがないが、同じ歳の加山さんファン、建築科卒、ザ・ベンチャーズ、エレキギターに憧れた世代として、頑張ってほしい人、お店である。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )