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ブログ

2014 年 12 月 9 日

プレゼント - その趣旨は何か

 これまでの人生でいくつものプレゼントを贈り、いくつものプレゼントをいただいてきた。贈ったもの、贈られたもの、それぞれに思い出に残っているものもある。それらを贈り贈られたことは、人生の節目であることが多い。
 例えば、小学生の頃、一番嬉しかったのは、クリスマスに買ってもらったレーシングカーだろうか。中学生時代は、自転車か。ツインライトのブリジストン・シャインスターというものだった。セミドロップハンドルを、後にドロップに変えてよく乗ったものだ。中学卒業の記念には、大阪往復の航空券を買ってくれた。大阪万博の跡地と大阪城へ一人で行った。その一つひとつが、今の自分の人格形成に影響しているのではないかと思う。しかし、恐らくその多くは忘れてしまったのではないか。現実には。

 私の父は中小企業の管理職、役員であった。商社マンであったので、私の子どものころには、それなりに中元、歳暮が自宅に届いた。デパートから届くいろいろな商品が詰め合わされた箱には、子ども心にもわくわくしたものだ。
 母は、箱を開けては「サラダオイルが一番嬉しい」などと言っていた。あの頃は、家庭でサラダオイルを良く使ったのだ。私は子ども心に、同じような缶が5つ並んでいるだけで、これはつまらなかった。
 嬉しいのは、いろいろなお菓子の詰め合わせや、カルピスなどジュースの詰め合わせだった。いろいろな色の石鹸が、20個も30個も入っている詰め合わせも嬉しかった。積木の代わりに遊べた。
 父は「仕事上のお付き合いなのだから、こんなことはしなくても良い」と、中元、歳暮のプレゼントをもらう度にぶつぶつ言っていた。当時は会社の上司に中元、歳暮を送る人も多く、社員からの贈り物には「同じ社内で、こんなことすべきでない」と怒っていたが、デパートから送られるそれらの受け取りを拒否することはなかった。その後、本人に申し入れたようで、社員の多くは送ることを止めてしまった。子ども心に、惜しいと思った。

 そんな父の影響か、私はいわゆる虚礼廃止の考え方が強い。いただければそれなりに嬉しいのだが、自分から中元、歳暮は送らない。
 私がするプレゼントは、何かのお礼が主だが、タイミングは不定期だ。気づいたら送るのである。全国を旅するので、例えばある地でこれは美味しいと思う食品を見つけると「そういえばあの人に‥‥‥」ということにする。思いつきだ。多くは、過去1~2年の範囲で受けた恩を思い出して、そうする。

 プレゼントを送る時は、先に電話、手紙を送る。これも父親の影響だ。「趣旨の分からぬ贈り物が、予告もなくいきなり届くことは失礼だ。事前に連絡をすべきだ」と、よく言っていた。
 確かに、プレゼントを送ることの意味は、その趣旨にある。例えば、趣旨がお礼ならば、それを伝えなければならない。趣旨も伝えずに、物だけをいきなり送りつけ、何も言って来ないのは確かに厚顔無恥だ。本来なら趣旨を話してアポイントを取り、行って、会って、お礼を申し上げ、その気持ちを補完するために品物を渡すのがスジである。
 旅先から送る場合、また忙しい現実ではそうもいかないので、はがきを出したり、電話で趣旨を説明したりしている。趣旨は何でもよいと思う。「旅先で美味しいものを見つけました。是非、あなたに食べていただきたく‥‥‥」で十分だろう。

 プレゼントを送ると、いわゆるお返しを送って来る人がいる。それも同じことである。お返しならお返しの趣旨を伝えるべきだろう。いや、お返しの品物は不要なのだ。「ありがとう」の一言が、はがき、電話、メールでもいいから送られて来ればそれで良いことだ。そちらが趣旨であるはずだ。
 こちらが、趣旨をはっきりさせて贈ったのに、「ありがとう」の一言もなく、品物を送って来る人も多い。何を送ろうとも、どう返そうとも自由なのだが、こちらのプレゼントがきっかけで、相手方に散財させてしまう結果になったことに、かえって暗い思いになる。
 いつか、親せきのおじ、おばに、旅先で見つけた、東京では手に入らないであろう、ある食品を送った。「美味しいことに感激しましたので、是非食べていただきたい‥‥‥」という趣旨である。すると、そのものが届いたであろう翌々日には、我が家にデパートから菓子折が送った数だけ届いた。何の手紙も添えられずに。しかも、その菓子折は全国どこのデパートにも入っているだろう、有名店の一般的な物だった。
 若年者から送られたら、返さずにはいられない、上の年代の人のプライドであろうか。こういう人々には、金輪際プレゼントは贈るまいと誓った。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )