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ブログ

2015 年 2 月 16 日

竹鶴政孝氏 その3 - マッサン

 有名な人というカテゴリーであれば、私の尊敬する人の一人は竹鶴政孝氏である。竹鶴政孝氏については、このブログの2012年9月の項を、是非読んでいただきたい。1979年(昭和54年)に亡くなっているので、ある意味で歴史上の人物だ。

 広島県竹原市にある竹鶴酒造を実家にもち、兵庫県の摂津酒造(現、宝酒造)、スコットランドへの留学を経て、大阪府の寿屋酒店(現、サントリー)で日本初のウィスキーを造る。さらに、理想のウィスキー造りの夢を果たすために、北海道余市でニッカウィスキー(現、ニッカ)を創業する。まさに、ビジネスマンの鏡ともいうべき憧れの人生だ。
 奥様は、スコットランドから駆け落ち同然で日本に来た(正確には現地で、婚姻届の書類は出している)リタさんだ。大正時代のことである。日本人とスコットランド人の恋愛結婚、異国の女性が日本の社会で生きていくことは、いかばかりか大変なことだったであろうか。

 その竹鶴政孝氏をモデルにしたテレビドラマが、NHKの朝ドラで放映されている。「マッサン」である。私はこのドラマの制作の話を聞いた時、飛び上がるほど嬉しかった。それから、ずっと楽しみにしていた。現在、オンエア中である。BSの朝8時30分、地上波の朝8時、BSの夜11時、どれかを毎日必ず見る。1日に3回見ることも珍しくない。

 物語の「マッサン」では、名前が「亀山」になっているとか、奥さんのリタさんは「エリー」、娘(養女)のリマさんは「エマ」などと、実際の竹鶴氏とは若干違っているが、大筋では史実に基づいており、波瀾万丈の人生模様が描かれている。私は、竹鶴氏の人生の結論を大筋で知っているので、この先どうなるのだろうといった、ハラハラドキドキ感はそれほどもないのだが、事実をテレビでどのように演出されているか、また演出されていないか、心情をどのように描いているかといった部分も興味深い。

 実際の竹鶴氏が、余市でニッカウィスキーを創業してからは、氏は会社でのど自慢大会などを開催し社員同士の交流を図ったり、バーベキュー大会などを開催して進んで調理に参加したり、工場内の空き地にテニスコートを作って自ら社員と球を打ちあったりもしたらしい。
 当時のおおむねの酒造会社には、丁稚奉公制度が残っていて、例えば有給休暇などは制度化されておらず、休みはご主人からお暇をいただくといった具合。社長が従業員と食事を共にするなどということはなかったというから、それまでの日本の酒造会社の社長とは、大分イメージの違う、気さくな人だったらしい。斬新というべきか。

 当時、ウィスキーは国民の間になじみが薄く、商売は苦労したというが、第2次世界大戦後、3級品が世に出ると(当時は、酒税で3級から特級に分類されていたらしい)、ニッカウィスキーは、2級の「ハイニッカ」、1級「ブラックニッカ」をヒットさせ、特級の「G&G」を出し、日本の洋酒メーカーとしてサントリーとの双璧をなしていく。
ドラマでは、3月末の最終回まで、どのように描かれていくのか、大いに楽しみである。

 このマッサンの主題歌が、中島みゆきの「麦の唄」だ。中島みゆきといえば「時代」で世界歌謡祭のグランプリに輝いた、私の大学時代の青春そのものだ。デビュー曲は「アザミ嬢のララバイ」。初めて聞いたとき、なんて暗いのか、しかもテレビには出ない。当時全盛だったアイドル歌手とはかけ離れた曲調、人柄、活動、何者かと思いながらも、その後の「地上の星」「ヘッドライト・テールライト」なども含め、彼女の曲で何度涙し、何度心が救われたことか。
 毎日、朝からこの声が私を励ましてくれる。
 よし、今日も、行くか!と。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )